この想いはなんと言うのだろう?
 恋。それとも―――愛なのか。


自 由の鳥 君の翼   漆


 月の綺麗な夜だった。不気味なほど、静かな夜だった。姫はゆっくりと上半身を起き上がらせた。隣には誰もいない。
「私は…」
 何故、ここにいる?
 嫁いできたからだ、ここに。月陰の妻として。だが愛されている自信はない。彼とはもう三日も顔をあわせていなかった。それとも普通なのだろうか、これ が。
 微かな胸の痛みは、何を意味するのだろう。
 彼が愛しいと?それとも自尊心を傷つけられた痛み?
 姫の長い黒髪が顔の横からこぼれた。こんなとき、思い出すのは『月の君』のことだった。自分を助けてくれた人。彼は、夫の月陰―――それとも、その兄の 月陽…いったい、どちらなのだろう。
「…ひとりなのか」
 姫ははっと顔を上げた。
「月陰はいないのか」
 夫と同じ声だった。
 おかしい、女中が控えているはずなのに。夫と間違えられたのか?それともこれが彼が生きながらにして死んでいるが故のことなのか。それとも全く別の ―――いや、そんなはずはない。姫は彼を悪い人間には仕立て上げたくなかった。
「…おい?」
 月陽は姫の横に座り込んだ。
「―――何用です」
「用、か。用がなくては来てはいけないか?」
 月陽がくつくつと笑った。
「無礼者っ」
 手をあげようとした、だがそれは簡単に封じられてしまう。
「乱暴はいけない」
 そしてふと―――真面目な顔になった。どきりと姫の鼓動が高鳴った。月陰によく似ている相貌だった。
「あの池でのことを覚えているか」
「っ!?」
 動揺が走った。
「―――そうか。あれは―――」
「あなたなのですか?! あなたが、私を助けてくださった…」
「俺は…」
 姫の哀しい瞳が月陽を見上げる。
「…俺だったらいいと、お前は望むか」
 何故こんな問いをしている?何故―――…。
 姫は激しく動揺していた。
「わたくしは―――」
 冷たい夫。その優しい兄。
「本来ならお前は俺に嫁ぐはずだった」
 いつもより速い鼓動だけが、あまりに現実的すぎた。ゆれていた。二人の間で。
「わたくしは…っ」
 どちらを、愛している? いや―――始めから…自分が恋しく思っていたのは『月の君』だった。
「あなたがいい…」
 口に出してから、どくんと鼓動が高鳴った。姫はおずおずと月陽の手を取った。
 その時だった。
「月陽―――」
 二人が同時に顔を上げた。そこに、立っていたのは。
「―――月陰…」
 姫が月陽から手を放した。後悔だけが、姫の心を埋め尽くしていく。
「…月陰、俺は…」
「もともとはお前の妻だ」
「月陰!!」
 月陽が立ち上がった。
「望むなら月陽、お前が俺になれ」
「何を…っ!月陰!!」
 月陰が踵を返して部屋の外へ出て行った。慌てて月陽もそれを追おうとする。だが。
「…ごめんなさい……私の所為じゃ…」
 月陽がゆっくりと振り返る。姫は両手で自分の顔を覆って泣いていた。
「あなたのせいではない。…姫、俺は…あなたを助けてはいない」
 姫が顔を上げた。涙が頬を伝う。
「…ずっと月陰に聞かされていた、あなたのことを」
 姫の唇が震えた。
「あの夜―――俺とあなたが出会ったあの夜、あなたは眠っているはずだった」
 だが、姫は起きていた。眠ってなどいなかった。
「あなたが愛しいと思った、だから―――あなたを助けたことにしたかった」
 そうすれば、彼女は自分を見てくれるかもしれない。そんな、浅ましい思いが、こんなことを引き起こしてしまった。
「あなたは何も悪くない。姫…私は、月陰を追います」
 そう言って月陽は姫の涙を指で拭った。
「あいつは、俺と入れ替わるつもりです。だから…」
 月陽が微笑んだ。
「私のことは忘れてください、姫」
 姫の心に衝撃が走る。呆然としている姫をそのままに、月陽は部屋を出ようとした。
 だが。
「待ってくださいっ」
 姫はその手を掴んでいた。
「姫…。私はあなたが望む人ではない」
「いいえ!わたくしは…っ」
 それ以上は言葉にはならなかった。
「…姫……」
 月陽がゆっくりと振り返る。
「姫、私はあなたを…一目見たそのときから…」
 濡れた頬に手を添えて、口付けた―――…。