見慣れた、ふたつの背中。だから朝子は
いつものように声をかけようとした。
「朝子」
けれどその前に隣にいた平良に咎められる。何でと問う前に、わかってしまった。朝子は平良を見上げる。平良は首を横に振った。
「何が、あったんだろ……」
なんとなく、だけれど。それは、いつものふたりではなかった。
そんな
僕らの裏事情
昼休み。悠輝と美空は屋上にいた。夏は暑いから、冬は寒いからという理由
で、めったに人の来ない場所だ。
昨日、あれ以来ふたりは大した会話もしていなかった。けれど、離れていることなど出来なくて。
何か言いたいのに、何も言えない。何も思いつかない。
どこか寂しくて、何かにすがりたいのに何にすがればいいのかわからない。どうすればいいのかわからない。
だからただ、黙って傍にいることしかできなかった。
朝子や平良をはじめとしたクラスメイトたちもそんな微妙なふたりの様子に気付いていたけれど、誰も、どうすることも出来なかった。なんとなく教室内が暗
くて、それが自分たちのせいだと気付いてしまうふたりだから、逃げるようにここにいる。
「……あいつらには、いつ言うの」
「どれを?」
冷たい風から身を守るように、フェンスにもたれて膝を抱える美空。悠輝は立ってフェンスから校庭を見下ろしているから、ふたりの視線は交わらない。
「どれって……」
「俺は、あいつらに隠し事ばっかりしてるよ」
美空の吐いた息が、白く濁った。
「性格のこと?」
風が吹く。ふたりの髪を揺らしながら、通り過ぎていく。
「……あぁ」
小さすぎる答えでも、すぐ傍にいれば聞こえる。美空は膝に顔をうずめた。
「まだふたつじゃない」
かすれた美空の声。悠輝にはわからなかった。今、美空がどんな表情をしているのか。見えなくても、いつだってわかっていたのに、どうしてだろう、美空が
ずっとずっと遠い存在のように思えるのは。
「重要なことばっかりだ」
「……そう、ね」
否定は出来ないから、美空は肯定する。
ずっと小さいころから一緒にいた人間が、本当はまったく違う性格であるなど。笑って許してくれるようなことだろうか。少なからず、彼らは傷つくだろう。
「今度は全部、言わなきゃだめだわ」
小さな声がきっぱりと言った。
「わかってるよ」
「教師が言ってしまう前に」
誰かから間接的に知らされてはいけない。同じことでも、直接聞くことと間接的に聞くこととではまったく違った意味を成す。長年の絆があるからこそ。
「そうだね」
まだ教師たちは知らないはずだ。今日の放課後に、大鳥の両親が学校へ来ることになっているのだから。
「……俺に、出来ると思う?」
「わからない。でも、やるしかないでしょ。あんたの問題だもの。だって、行くって決めたの、あんただわ」
美空の言葉は、的を得ているからこそ、きつい。けれど、それは悠輝に笑みをもたらした。
「……そうだね」
天原美空は、変わらない。彼の幼馴染みがどんな立場であろうと、ふたりの先にどんな未来が見えていようと。
「何笑ってんのよ、あんた」
「……さぁ?」
美空はため息をついて立ち上がった。フェンスに背を預ける。
「背中汚れるよ?」
「それ、結構今更よ?」
それは確かにそうだと悠輝は苦笑する。
「美空……」
悠輝がフェンスから離れて美空を見た。
「何よ……」
悠輝を見上げた美空。目が合った。真剣なまなざしに、美空の鼓動が、跳ねた。
「ゆ、うき……?」
ゆっくりと開いた唇。美空は動けなかった。
だが、悠輝は一瞬目を伏せ、息を吐き出した。
「チャイム、鳴るよ」
その言葉が言いたかったのではない。その言葉が聞きたかったのではない。わかっていたけれど、こんな時どうしていいのか、悠輝も美空もわからない。
「そうね」
だから、互いに気付かなかったふりをする。そうしていることすら、互いにわかっていたけれど。
「あのさ、美空」
補習の終了の礼の後。座って、教科書もプリントも筆記用具も片付けようとしない美空。何人か立ち上がっているクラスメイトもいたけれど、なぜか、誰も帰
ろうとは言い出せなかった。
帰り支度をした朝子が、美空の傍まで寄ってくる。
「座って、朝子」
「美空」
「話があるのよ。私からじゃなくて、……悠輝から」
朝子はさっと平良と目配せする。朝子は何も言わずうなづいて、席に着いた。立っていたクラスメイトたちも自分の席に戻る。
「……どうしたの?」
訊いたのは、平良。教室内がシンと静まる。
「……全部、話す」
悠輝が立ち上がる。全員が、息を詰めた。
「大鳥!」
けれど、何も告げられないまま、ガラリと教室のドアが開いて、副担任の拓也が入ってきた。
「お、まえら……」
あからさまにしくじったという表情をする拓也。美空がそっとため息をつく。
「……大鳥、その……呼んでる。ご両親が」
パッと美空が立ち上がった。そして、拓也を睨みつける。
「……美空」
悠輝が美空の肩を掴む。
「行ってくる」
美空は答えない。
「先に帰ってて。みんなも」
「悠輝?」
話はそう長くはならないはずだ。なのに先に帰れとはどういうことだろうか。意思を変えて、東京へ行くことをやめにしたのだろうか。けれど視線はそうは語
らない。では、なぜ。
教室を出て行く悠輝の背を、何か読み取れはしないかとずっと見つめる。けれど、答えは見つからない。
「ね、美空、どういうこと? なにがあったの?」
問い詰めてくる朝子を睨み、感情のままに叫ぼうとして。
「やめな、朝子」
冷静な麗未の声に我に帰る。
「悠輝が、自分で話すって言ってんだから。あたしらができるのはさ、悠輝が話すの待つことだけだよ」
「……待ってようぜ。何時間かかったって、ここで。いいよな?」
夜宮がクラスメイトたちの顔を見渡す。
「それまで勉強でもしてればいいわけだしね」
桜花の同意を筆頭に、いくらか同意の声が帰ってくる。誰も帰ろうとはしなかった。
「美空、職員室の前にいなよ。俺たちが帰ったと思って、悠輝が帰ったら困るし」
平良が美空を促す。
「……そうするわ」
ただひとり、事情を知っている美空はこの場所には居づらいだろう。それも見越してのことだった。
「美空、ごめんね、さっきは」
「……いいわよ」
まだいらいらしている自分に気付いてため息をつきそうになったが、それを堪える、けれどそれで精一杯だった。本当は、自分も悪かったと謝るべきなのに。
それも出来ない自分に、更に苛立ちが増した。