「あーあ、今年の文化祭は見て回るだけ
かぁ……」
夜宮が伸びをしながら言った。
人数が少ないために単独で文化祭が出来ないこの中学校では、地域で行われる文化祭に何らかの形で参加している。ある年のある学年は演劇をしていたし、合
唱や出店をしていたこともある。
だが、受験を控えた三年生はそれすら出来ない。何の出し物をするにせよ、準備の時間が必要だからだ。
そんな
僕らの裏事情
「美空行くよね、吹部今年も出るし!」
「当たり前でしょ」
朝子の問いかけに、読んでいた本から目を離すことなく美空は答えた。
「ね、ね、なんか差し入れ持って行こうか!」
だがそれはいつものことなので、朝子も気にする様子はない。
「あんた好きね、そういうの」
美空はぺらりとページをめくる。
「もうっ、美空冷たいよ!」
今度は返答がない。綺麗に無視だ。朝子が情けない声で美空の名を呼んだ。
「それで?」
「え?」
美空が本にしおりを挟んでそれを閉じた。ため息をつきながら朝子に視線を合わせる。
「買い物に付き合えって言うの、それとも一緒に作れ?」
「あは、美空よくわかってるーっ」
へらりと笑った朝子に再びため息。
「何年の付き合いだと思ってんの」
「えーと……」
視線をさまよわせる朝子に、言いたかったのはそういうことではないと呆れる。わかっていてやっているなら、確実に平手が飛んでいただろう。
「数えなくてよろしい」
いや、それすら面倒でやらなかったかもしれない。
「はぁい……」
「で、どうしたいの」
結局手作りの方向でいくことになった。もっとも、材料を買うためにふたりで買出しにも行かなければならないのだが。
「わぁ、ありがとうございます!」
美空が思っていたとおり、美空の跡を継いで部長になった由宇夏が顔をほころばせた。
「なんかすみません……」
「いいのよ、言い出したのあの子だし」
美空は他の部員と楽しげに話す朝子を見やった。美空の周りにいた部員がそれに苦笑する。
「どう、うまくやってるの?」
「まぁまぁですね。まだ慣れませんよ、ふたり抜けた分が」
それはそうだろうと美空もうなづく。たったふたりではあっても、元々の人数が少ないのでその影響は大きい。
「あやなんか、急に主旋律増えたから困ってますよ」
「由宇夏!」
あやは朝子と同じトランペットを担当していた。今まで朝子が受け持っていた第一パートを引き継ぐことになったのでその戸惑いも大きいのだろう。
「期待してるわ、今日の演奏」
美空は綺麗に笑みを作った。あやが慌て始める。
「鬼ですかっ?」
「失礼ねぇ……」
美空が意地悪く笑う。由宇夏もまるで人事のように笑う。
「じゃあ、私は先に体育館に行ってるわよ」
吹奏楽部の演奏が行われるのは、町民体育館なのだ。
「私は……って先輩、朝子先輩は?」
「あぁ、勝手に来るでしょ」
さも当然といわんばかりの口調。あやが苦笑した。
「えー、いらないからもってってください」
冗談を言う顔で由宇夏が笑う。美空は朝子が傍によってきていることを視界の端に確認したが、言葉は止めない。
「私もいらないわ」
「ちょっとふたりともひどいー! 由宇夏ちゃん、なんか変なとこ美空に影響されてないっ?」
予想通りの反応に、美空と由宇夏が視線を合わせてそっと笑った。
「あら失礼ね、どういう意味なのかしら、それは?」
首をかしげて、笑顔。朝子が乾いた笑みを浮かべながら後退る。
「いえ、別に……」
「ほら、邪魔しちゃいけないから行くわよ。じゃあ、あんたたち、がんばりなさいね」
明るい返事を聞きながら、美空は控え室になっているコミュニティセンターの一室を出た。隣で朝子が大きく手を振っているのにため息をつきながら。
「ったく、何歳よ……」
「え?」
体育館で後輩たちの演奏を聞きながら、美空は複雑な思いに駆られていた。今までいた場所が、目の前にある。けれどもう、そこには戻ることが出来ないの
だ。
部活を引退してから、美空はフルートを吹くどころか触れてすらいなかった。
いつものように学校から帰って、けれどその手にフルートはない。いつものように夕食の後部屋に戻って、フルートに目をやるのはもうそれが癖だからだろ
う。
けれど、なぜかそれ以上踏み出せない。大好きなはずのその音を、今は聞くのが怖い。
後輩たちの演奏の中には、当然フルートの音も混じっている。他の楽器に負けそうなその音も、美空には聞き分けられる。
無邪気に笑う朝子が少し、恨めしい。彼女は何もかも振り切っているようで。自分ひとり、取り残されているようで。
気付いてほしい、けれど絶対に気付いてほしくない。知られたくない、こんな思いを抱えているだなんてことは。それは、二年以上という一番長い時間共に吹
いてきた朝子にだからこそ。
吹きたい、なのに、吹くことが怖いだなんて。