「疲れないわけ?」
美空は勉強している手を休めないまま、ベッドに座っている悠輝に問うた。今更な、質問だけれども。
「何が?」
「人格、偽ってて」
「うーん。慣れたし・・・」
自分に背を向けている美空ははぁっとため息をついたのに気付き、悠輝は目を細めた。
「・・・・・・心配してくれてるんだ?」
「殴られたい?」
そんな僕らの裏事情
「おはよう、悠輝君!」
「おはよう」
朝から明るい朝子の挨拶に返事を返す悠輝の顔には、いつものにっこりとした笑みはどこにもみあたらない。まったくもって無表情だ。
美空はひそかにため息をついた。
―――この、幼馴染みは。
「美空?なんか不機嫌?」
「別に」
(・・・この、二重人格)
悠輝は、“他人に見せる顔”と“美空に見せる顔”が違う。いや、美空以外の人には“素”を見せないのだ。家族にさえも・・・・・・。
美空はふと意識を過去に飛ばした。
それは、二人が出会った頃。まだ二人の幼い頃だった。
「ひとりであそんでるの?」
「なによ、アンタ」
ブランコに一人座った美空はムッとして振り向いた。そこには見たことのない無表情の男の子。
「なによ?」
男の子は答えない。そのかわり、美空の隣のブランコに座った。ギィ・・・ときしむ音がした。
「ちょっと・・・なにかってに・・・・・・」
「ひとりって・・・さびしくないの?」
男の子は美空を見ようとはしない。
「さびしくないわ、どうして?」
「ぼくは・・・・・・」
どうなのだろう。寂しい?いや・・・・・・。
「ひとりのほうが、らくよ?」
美空は肩をすくめた。まだ、5歳になるかならないかくらいなのに、なぜか大人びた彼女。そんな彼女が、なんだかまぶしくて―――でも、見ていられない。
なんだか今にも壊れてしまいそうな・・・・・・。
「どうして?」
「どうしてって・・・そうねぇ・・・・・・。らくなものは、らくなの」
理由になっていない理由。悠輝はふと笑みをこぼした。
「そっか」
美空は驚いた顔をして2・3度瞬きした。
「どうかした?」
「アンタ―――アンタ、わらってるほうがいいわ」
照れたようなほんの少し頬を染めた顔。今度は悠輝のほうが驚いてしまって、彼女の顔を見た。
「かえるっ」
「あ、ま、まって・・・!」
「なんでついてくるのよっ」
美空はつい口をついて出てしまった言葉に後悔していた。どうして、あんなことを言ったのだろう。あわせる顔がなくて、歩くスピードが上がる。
「ぼくも、かえりみち・・・こっちだし・・・」
「じゃあ、べつのみちからかえってよっ」
「むりだよ・・・!!」
なんだか、急に意地悪になった彼女に戸惑う。
最期には走り出す。あわてて自分も走り出した。
「ついてこないでっ」
といわれても。どうして彼女は逃げているのだろう。それがわからない悠輝はついていくしかない。
「まってよ・・・っ」
「いやよっ」
美空はもはや意地になっていた。当初の目的など、ほぼ忘れかけている。
二人はわけもわからないまま走り出した―――。
「まさか隣の家だとは・・・誰が思うっていうのよ・・・」
ぼそっと美空はつぶやいた。
あのまま走って、家に着いたと思ったら、彼が驚いたような顔で言ったのだった。
『いえ、そこなの?』
それから、もう10年もたとうとしている。本当に、なんという腐れ縁。
その後、時々悠輝は美空の家にやってきた。仲が悪いようで良いようで、大人達は微妙な二人の関係に苦笑したものだったが。
「・・・・・・原因は私なのかしら・・・?」
美空は真剣な顔をして考えた。
『わらってるほうがいいわ』
あれから、悠輝は美空の前でだけはちゃんと笑うようになった。幼い頃はそれが不思議で仕方なかったけれど、それになんだか優越感のようなものがあって。
大人の知らない秘密―――それは、幼い二人にとって楽しい一種の遊びのようなもので。それが、悠輝の二重人格を作ってしまったのかもしれない
―――・・・・・・。
「不可抗力よ」
ため息と共に吐き出す言葉。くしゃっと長い髪を掻き揚げる。
「・・・・・・何が?」
悠輝の声にハッとする。忘れていた。ここに朝子も平良も―――何より悠輝がいることを。横を向くと、笑みのない顔。何故かチクリと胸が痛む。
「なんでもないわよ」
教えてなんてやらない、絶対に。
美空はクスリと意地悪い笑みをつくってみせた。悠輝はそう、とだけ返した。―――“表面上”は。
「後でちゃんと聞きだすから」
耳元で囁かれた。二人で話をしている朝子と平良にはおそらく聞こえていないだろう。
美空は肩をすくめた。
「せいぜい頑張ることね」