「みっそらっ」
「……朝子」
 朝子は顔を歪めて笑った。美空も意識して笑みを形作る。
「なんていうか……」
「言わなくてもいいわよ」
 きっと、同じ気持ちだろうから。朝子は何も言わず、笑みを深めた。


そんな 僕らの裏事情



 天気はずっと晴れたまま、美空たちの中学校最後の運動会は幕を閉じた。そ して、美空と朝子にとっては、中学生としての最後の演奏も。
 長かったような、短かったような。いろいろな曲をいろいろな場所で演奏した。けれど、たとえこの先彼女たちが吹くことをやめずとも、このメンバーで演奏 することはもう一生ないことだろう。
 放課後になるといつも通った音楽室で、美空と朝子はそれぞれの楽器を片付けていた。三年であるふたりは先に運動会に使ったテントや用具類を片付けていた ので、ふたり以外の部員はもう先に楽器のほうの片付けは終わらせているようだった。
 賑やかなはずの音楽室が今は静かで、それがなんだか気まずい。
「続ける? 美空は」
「……わからないわ」
 朝子が手を止めて美空を見た。
「嘘っ! 美空はやめないと思ってた!」
 朝子の視線から逃れるように片付けに集中する。確かに学校のトランペットを使う朝子とは違って、美空は自分のフルートを使っている。朝子よりずっと続け ることは簡単だ。
「あんたはどうするつもりなの」
「……多分、続けない」
 なんとなく、予想していた答えだった。
 人数もまともにそろっていない学校では、どうしても本格的に練習することは出来ない。いくら中学生時代にやっていたからといっても、否、それだからこそ 甘い練習が身についている美空や朝子が他校の生徒と共にやっていくことは難しい。その実力のなさに自信を失うことは目に見えている。それがわかるのは、以 前に他校との合同演奏をしたからだ。
「そう」
 フルートを入れた箱をぱたりと閉める。
「ねぇ、美空ならやれるよ。私よりずっと才能あるし、練習だっていっぱいするし、美空なら」
「朝子」
 美空に名前を呼ばれた朝子は素直に黙った。だが今にも先を続けそうな雰囲気だ。
「わからないって言ってるの。やめるって決めたわけじゃないから……」
 それにたとえ高校で吹奏楽関係の部活に入らずとも、独学で続けたいとは思っている。もう一生吹かないということはないだろう。
「美空先輩、朝子先輩!」
 明るい声にハッとそちらを見る。ふたりの後輩たちが全員そろって音楽室の入り口にいた。
「あぁ、お疲れ様」
 美空がそう呼びかけるも、答えるものは誰もいない。不審に思うと、由宇夏が一歩前に出た。
「……美空先輩、朝子先輩……」
「なによ、ちょっと、どうしたの……」
 あまりいい空気ではない。何かあったのかと訝る。朝子の視線に気付いた美空は彼女と視線を合わせるが、朝子も首を傾げるだけだった。
「お疲れ様ですっ」
 由宇夏の声を合図に、ふたりの部員が美空と朝子のところまで歩いてきて、小さくてかわいらしい花束をそれぞれに差し出した。
「ちょ、あんたたち……」
「いいの……?」
 美空も朝子も戸惑う。卒業式のときに色紙を渡すだとか、そういったことは去年までもやっていたが、運動会の、最後の演奏の後に何かをしてもらうなど吹奏 楽部の前例にはない。
「だって、あたしたちほんと、いろいろしてもらってばっかりでっ」
「いつもいつも、頼ってばっかりで、迷惑かけて、すみませんでした……っ」
 すすり泣く声が聞こえる。
「そんなの、こっちだってっ」
 朝子の声も涙声だ。
「三年生はふたりだけで、下にいるあたしたちのほうがずっと人数多いのに、先輩たちはそんなの関係なしでみんな見てくれて……」
「嬉しかったです……っ」
 美空は朝子の肩を抱く。泣くんじゃないわよ、と言いたかったが言ったら自分自身が危なくなりそうで言えない。
「ありがとうございましたっ」
 由宇夏の声を筆頭に、全員が声をそろえた。
「……こっちこそ、ありがとうっ」
 朝子の声を聞きながら、美空は声を出せない。
「美空……」
「先輩……」
 後輩たちから、先輩やら部長やら呼びかけてくる声が聞こえて、美空はますます困ってしまう。
「……まったくっ! ……不意打ちなんだから……」
 案の定少し声が震えている。涙なんて見せたくはないのに。自分が情けない。
「すみません……」
 由宇夏が涙をためた瞳で笑った。その後ろにいる部員たちも顔を見合わせて僅かに笑みをこぼす。朝子も笑った。
「後のことは、頼んだわよ。……あんたたち、全員にね」
 ひとりひとりががんばらなければ、吹奏楽は成り立たないのだから。
 破棄のある返事が返ってくる。ドラマのように、図ったのではないかというくらいに揃った返事。それがおかしくて、みんなで泣き笑いした。
「時々は遊びに来てくださいね」
「えぇ、不意打ちで行くわ」
「怖っ」
 美空の声に反応したのは朝子だった。
「あんたもう関係ないでしょう」
 はじける笑い声。いつもどおりの光景。それがなんだか一番似合ってる気がして、心が温かくなる。
「いや、まぁそうなんだけど」
「そういうこというから、朝子先輩は美空先輩に怒られるんですよぅ」
 由宇夏が悪戯っぽく笑う。結局はそんなふたりだからこそ、好きなのだけれど。
「うん、そうなんだろうけどね……」
「あら、あんた自覚あったの?」
 美空は肩をすくめた。案の定朝子が唇を尖らせる。
「ありますぅー!」
「あれ? 高峰先輩、大鳥先輩?」
 ドアの一番近くにいた部員が廊下から聞こえる足音に気付いてそちらに目を向けると、そこには悠輝と平良がいた。
「吹奏楽部のみんなも下降りてきて。組ごとに記念写真撮るって」
 笑顔の平良が告げた。悠輝は相変わらず一言も話さない。
「ちょっと、そんなの聞いてないわよ」
「うん、そりゃ、ノリだから」
 平良の言葉に美空は二の句がつなげない。どこから何をつっこんでいいかわからない。とりあえず笑顔でノリだと言い切る平良にため息。
「わぁ、いいな、行こうよ!」
 そして無駄にはしゃぐ朝子にも。
「私たちが行かないと始まらないのよバカね」
 花束はしばらく置いておいても大丈夫そうなのでそのままにし、美空たちは運動場に降りることにした。
 さりげなく美空の後ろについた悠輝が安堵した瞳で彼女を見つめていたことは、おそらく誰も知らない。



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