「さすが美空だね、音聞こえるなんて」
 朝子の無邪気な言葉に、美空はなんとも言えず苦笑でごまかした。
 聞こえたのはともかく、朝子を連れて音楽室に行ったのは、本当に良かったことなのだろうか。由宇夏をはじめとする後輩たちの気まずげな様子を見た美空は そう思っていた。
 美空も朝子も、もうすぐ引退する身。いつまでも部活に顔を出しているわけにはいかない。わかっているけれど。


そんな 僕らの裏事情



 放課後、運動会の練習と平行して吹奏楽部も練習する。三年の美空や朝子は 応援の練習もあるので、合奏する時くらいしかほとんど音楽室にいくことはできない。
「お前らがんばるよなー」
 合奏だから抜けると言った美空に、団長を務める夜宮が苦笑する。
「あんたもね」
 それだけ言って、美空は走っていった。夜宮は目を細めてその姿を見ていた。同じ組の後輩に呼ばれて、すぐに視線はそちらへ移ったけれど。
「あーっ、美空先行っちゃった!」
 聞き知った声が訴える内容に、夜宮は苦笑する。とても彼女たちらしい。
「もー、ひどいよーっ」
 そう言って校舎へ走る朝子を振り返ることはしないけれど。

「あ、美空先輩、お疲れ様ですっ」
 音楽室には由宇夏がいた。どこか無理して明るく振舞っているようにも見える。
「あんた、競技の練習はいいの?」
「大丈夫ですよ!」
 そう、と美空は呟く。すぐさまフルートを出して音だしをする。いきなり合奏をすることはできない。そのために美空は合奏の時間より早めに音楽室へやって きたのだ。
 美空がフルートを用意している間、由宇夏は黙ってそこに立っていた。
「あの……昼間の、ことですけど」
「美空ー、早いよ、もう少し待ってくれたらいいのにっ」
 図ったようなタイミング。もちろん朝子にそんな意図はないとわかっているけれど、ついため息が漏れてしまう。由宇夏も話の中断を余儀なくされ、どう続け ていいかわからなくなっている。
「えっと……何かあった?」
「あんたのせいよ」
「えっ、私何かしたっ?」
 慌てる朝子に説明してやるのも面倒だ。美空が黙っていると、由宇夏がおずおずと声をかけてきた。
「昼休みのことなんですけど」
「……えーっと、いないほうがいい?」
 気を利かせたのだろう、朝子がそう言ったが、由宇夏は首を横に振った。
「大丈夫です。っていうか、聞いてください」
「あ、はい」
 由宇夏が苦笑した。美空は視線で由宇夏に先を促す。
「先輩たち……これで引退でしょう? なのに、私たち練習もちゃんとできてなくて……大会のこともあるし、もっと練習したいねって」
 美空は何も言えなかった。
「そんなの、いいのに。練習時間足りてないのは、私たちも同じだよ? ね、美空」
 同意を求められても、美空には応えられなかった。
「美空?」
「……わかったわ」
 ほっと息をついたのは朝子だけだった。
「あの、ごめんなさい。勝手なことして」
 うなだれる由宇夏に、かけるべき言葉は一体どれが正しいものなのか。
「そんなこと言ってないでしょ」
 そんなつもりはない。少しだってないのに、声が冷たくなってしまう。考えるより先に言葉は飛び出していく。そんな自分に苛立った。
 その気持ちは嬉しい。それは確かであるのに、けれどいつの間にか、相談される対象から外れてしまっているようで。それが少し寂しいというか、つらい。
 こんなとき、なんと言えばいい? どうやって説明すればいい?
 美空にはわからなかった。
「……がんばりなさいよ」
 言葉の正しさなどわからなかったが、ただそれだけ伝えた。由宇夏は困ったような顔で、はいと答えて音楽室を出て行った。個人練習に戻るためだろう。
「……美空?」
「練習、するわよ。時間ないんだから」
「うん……」
 ひとりになりたいと、思った。そういうときに限ってそれは叶わないものだけれど。朝子も、美空を心配して傍にいようとしているのだろうけれど。
 こぼれてしまいそうなため息を、飲み込んだ。

 その日の演奏は、自分でもわかるほどに滅茶苦茶だった。



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