考えても仕方のない事だってある、そん なことはわかっているけれど。
「…まったく、朝子は…」
 ここまで私の心を乱してくれるのだから。
 ぱしゃっとバスタブに溜まったお湯が揺れた。


そ んな僕らの裏事情



 風呂から上がった美空はベッドに腰掛けながら昼間の朝子の言葉を思い出していた。
“高校になったらみんなばらばらだよねー”
 いつものようにはいかないのだろうか。卒業してしまえば?
 今はこんなことを考える時期じゃないのだろう。わかっている、けれど、胸の内に住みついた言葉はなかなか消えていかなかった。
 がばぁっ
「っ!?」
 横から誰かに抱きつかれた。誰か・・・そんなの決まっている。
「悠輝!!」
「ぼーっとしてるね?」
「だからって、今ッ! だっ抱きつ・・・!?」
「気付くと思ったから」
 実際、拒否されるのを覚悟していたのだ。そして、思い切り罵倒されることを。
 だけど、彼女は抱きつかれてから自分の存在に気付いた。
「嫌だった?」
「嫌・・・っていうか・・・っ! 私は女で、アンタは男じゃない!だから・・・その・・・」
 “男”そして、“女”。よもや彼女の口から聞くことになろうとは。今すぐ帰ってしまいたい気分だが、それではあまりに不自然だ。
 悠輝は内側からこみ上げてくるものをぐっとこらえてなんでもないように装った。
「幼馴染みなんだから・・・これくらいは許してよ」
「別に・・・許すとか許さないとか・・・」
 こんなに混乱していう彼女はいつ以来だろう。
(だけど君は、俺を“男”としては見ていない)
 こんな風に反応されたほうが、切ない。もっとはっきり避けられた方がよかった。
「それで?」
「え・・・?」
 急に話を変えられて、美空は戸惑う。
「何をそんなに真剣に考えていたの?」
「あ・・・・・・」
 蘇る、言葉。
「なんでも、ないの」
「そんな顔してないよ」
 美空は改めて悠輝を見た。いつもいつも隣にいる幼馴染み。
「悠輝は・・・どこの高校に行きたいの?」
「とりあえず、今は光林・・・かな」
 ドクン、と鼓動が高鳴った。
 光林高校は県でも一、二を争う難問校だ。
「美空は?」
「・・・よ」
「え?」
 聞き取れず聞き返す、と美空はキッと顔を上げて言い放った。
「彩波よっ」
「彩波?」
 いぶかしげに・・・というより、本当に驚いた様子の悠輝。
「何よ、その顔は」
「吹奏楽はいいの?」
 彩波高校は光林高校よりすこしレベルが低い。だが、悠輝が不審に思ったのはそこが吹奏楽にあまり力を入れていない学校だからだ。
「あの高校は無理せず入れそうだし・・・進学校だもの」
 言い訳をするようにそういう美空。
 確かに、美空の学力なら推薦でもいけるだろう。だが、あそこまで吹奏楽に力を入れていた美空だから、吹奏楽を思い切りやれる高校を選ぶだろうと悠輝は 思っていたのだ。
「俺はそんな事聞いてるんじゃない。吹奏楽はどうするのかって言ってるんだよ?」
 確かに出来ない事はないだろう。けれど、噂に聞く彩波高校の吹奏楽レベルはあまりに低い。本当にやろうと思うなら、美空には合わないはずだ。
「他に行くところがないじゃないの」
「…光林は?」
 まるで同じところに行かないかと誘っているようだと思ったが、言わずにはいられなかった。
「学力が追いつかないでしょ」
「美空、時々俺より成績いいよね」
 誤魔化すなとばかりに鋭い瞳が美空を捕らえる。居心地が悪くなって逸らした。
「……なんでそんな事」
「だって美空そこら辺にテストの結果放置してるじゃないか」
 それはその通りだ。別に見られても構わないとも思う。悠輝を責めるつもりはない、けれど。
「―――わかったわよ、白状するわ。…光林の吹奏楽部は上手すぎるから、これでいい?」
 美空が怒った瞳で悠輝を睨みつける。
「だから、何?」
 イライラ、する。
「ついていけるかどうかわからないのよっ」
 いくら中学の時にやっていたとはいえ、それで果たしてついていける世界なのか。
 まして美空たちはほぼ独学に近いのだ。もともと部員数が少ない、先輩だって少ないから、入部当時に同じ楽器をやっている先輩がいるとは限らない。美空は その先輩がいなかった。
 顧問の先生といっても単に音楽の教師だというだけで、全ての楽器を指導できるわけではない。実質今の吹奏楽部を引っ張っていっているのは美空だ。
 それらの事実が、美空に早くもプレッシャーとしてのしかかるのだ。
「俺が光林受けるのは、バスケ部が強いからだよ」
「バスケ・・・続けるつもりなの?」
「今のところはね。まだわからないよ」
「…帰りも遅くなるわ」
 高校のない街だから、近くの街の高校に行かなくてはいけない。今より通学時間が長くなってしまうのもまた事実。
「終わるのが遅いらしいのよ」
 それでは勉強する時間もないだろう。
「―――俺が、美空の進路に口出す権利はないけど、俺は美空が後悔しないところに行って欲しいよ」
「…まだ、決めたわけじゃないわ」
 その言葉で、美空もまだ迷っているのだと悠輝は悟った。それなら、今は何も言うまい。
「そうだね」

 でも、できるなら…同じところにいきたい。こんなに光林を薦めるのは、本当は美空のためなんかじゃないのかもしれない。
 電気の消えた美空の部屋をベランダから見ながら、悠輝は自嘲した。
「離れる事に、なるのかな」
 応えはない。当然だ。
 美空は当然光林高校を受けるだろうと思っていた。学力的にも丁度いいし、美空は迷うことなく吹奏楽を続けるのだろうと思っていたから。悠輝が光林高校を 第一希望にしている本当の理由は、むしろそれだったかもしれない。
 高校に入ったら、美空にだって恋人ができるかもしれない。それをそばで見ていなければならないかもしれない。それでも、傍にいたいと思った。本当はその くらい美空のことが、好きなのだ。言うつもりは、一生ないけれど。
 だって自分には、美空しかいないのだ。たとえ幼なじみというポジションでも、悠輝は美空の“一生”を手に入れたかった。
「狂ってる、かな?」
 夜風が少し、寒い。



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