サファイアの空は誰が為に

「何探してんだ?」
「いや―――」
 コンスティンは嘆息した。どこがだと言ってしまいたいところだ。仮にも使者が上の空でいいものか。元々愛想笑いのひとつもできやしない、気の聞いた言葉 のひとつもかけられない人間だとはわかっていたが。
 言ってしまえば堅苦しいだけの謁見が終わり、舞踏会がついさっき始まったばかりだ。キース王をはじめ、マリオナ王妃やキース王の妹姫アリーシア姫もいっ たん下がっている。
 そのとき、ざわっと辺りが華やいだ。
 コンスティンは不思議に思う前に―――ギョッとした。
「アスト?!」
 つい愛称で呼んでしまった自分が悔やまれる。だが、本当にそんなことを考えている余裕はなかったのだ。
 隣に立っていたはずのアストリスが消えた。否、歩き出した。慌てて追いかける。
 コンスティンの目に、桃色のドレスを着た美女が映った。
(―――誰だ?)
 アストリスがその娘の手をとった。
「待っていた。俺と踊って欲しい、姫―――」
(姫…?)
 この国で姫と呼ばれる立場の人間はひとりしかいない。王妹アリーシア。
 王妃マリオナの隣に笑顔のひとつもみせず立っていたあの姫。美人だとは思ったが、まさかここまで。いや―――あの謁見の時とはまるで印象が違う。程よく 甘く美しく、また儚い。
 オーケストラの曲が始まってハッとした。コンスティンは人ごみにまぎれた。且つ、アストリスからは目を離さない。

 ワルツの三拍子が心地よい。アリーシアは元々ワルツの曲はどれも好きだ。聞くだけなら、という条件付きならば。だが、今日のワルツはなんだか格別だっ た。
 触れられた腕が、手が、熱い。サファイアのような美しいブルーの瞳に見つめられ、身体が思うように動かない。こういうときばかり…と考えると、少し悔し い。
「大丈夫か」
 深い声。初めて聞いた時から耳を奪われた、心を揺さぶって離さないその声が、こんなにも近くに。
「何が―――ですか?」
 自分でもわかるほど、声が震えている。顔を上げる、目が合う、ただそれだけの事なのに。
「うつむいている。気分でも悪いのか? だったら無理をすることはない」
 普段あまり向けられる事のない直進の思いやりに、アリーシアはじんとした。答えられないでいると、彼が止まろうとした。
「っ、大丈夫、です…」
 まだ、もう少し、彼と踊っていたかった。ダンスなんて嫌いだったけれど、彼とならこの音楽に身を任せていたい。
「そうか?」
 アリーシアはうなずいた。
「だったら、顔を上げてくれ」
「え…」
 ワルツの穏やかなリズムに身を任せながら、アリーシアは驚いて彼を見た。
「お前の顔が見たい」
 鼓動が跳ね上がる。彼は口が上手い、とアリーシアは舌を巻いた。自分の王妹という立場が彼にそうさせるのかもしれない。いや、きっとそうなのだろうとは 思ったけれど、心なしか高い体温も、倍のように走る鼓動も、十分すぎるほど彼の言葉の魔力に取り付かれていた。心臓が痛いほど、アリーシアに今までにない 想いを思い知らせる。
「嫌か」
 違う。そんなことは決してない。ただ、まともに彼の顔を見る、ただそれだけをするだけの自信がないのだ。けれど、たとえそれが彼でなくとも―――兄に教 育されたアリーシアには相手に失礼な真似はできない。暴れだしそうな心臓を押さえ、アリーシアは顔を上げた。
 彼が満足そうに口の端をあげた。目を逸らしたい、けれどできない。それより、その笑みを見ていたいという思いのほうがずっと強かったから。
 それから二曲目のワルツが終わるまで、ふたりはずっと互いを見つめ合っていた。

「まったく、あんなにかわいらしい笑みなんか見せて! あれじゃあ誰でもイチコロですっ!」
 隣から聞こえた声にコンスティンはぎょっとした。そこにはどこか―――見覚えのあるような、ないような、娘。彼女は視線に気付いたのか、コンスティンに にっこりと笑いかけた。
「―――、っ」
 なぜだか居心地が悪い。
「これからが大変ですよ」
「は…?」
 ほぅ…っと娘がため息をつく。
「せっかく両想いなんですから、やっぱりくっつけてさしあげなければ」
「えっと…」
 単なる独り言なのか、それとも話しかけられているのか―――わからない。
「あら、わからないんですか? あなたの見つめているカップルですよ」
 コンスティンはぎょっとしているのを、娘は楽しそうに見て。
「これからよろしくお願いしますね、コンスティンさま」
 くすくす、と笑う。
「何で俺の名前…って、おい、どこに…っていうかお前誰…」
 言うだけ言って去っていく娘を呆然と見つめ。ふとアストリスとアリーシア姫に視線を戻し、嘆息した。

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