5. 嫉妬心

「先生、一人?」
「え? えぇ。どうしたんですか、浮かない顔をして……。貴女らしくないな」
 あたしは少しだけ笑顔になった。先生が、あたしらしいあたしを知ってるくらい、あたしを見ててくれることがわかったから。中途半端じゃないんだなって思 えるんだ。
「先生、あたし、先生に言いたいことあるんです。聞いて……くれますか?」
「はい。何ですか?」
 この笑顔が、どんな風に変わっていくんだろう。そう考えると、とってもつらい。けど、ここまできたんだ。きたんだから……。
「あたし……あたし、先生のことが好き。本気で……」
 だんだん声が震えてきた。嫌だ、泣きたくない……。
「雪村さん……」
 あたしは逃げ出したくなるのを我慢して、次の言葉を待った。
「僕は、教師ですよ?」
「わかってます……」
 先生は、ずっとずっと真面目な顔をしていた。こんな表情、初めて見たくらいに。
「現実は、漫画やドラマとは違うんですよ?」
「……わかってます」
 先生、もういい。もういいから、駄目なら駄目って言ってよ……! わかってるんだからっ!
「冗談でした、本気じゃありませんでした、じゃ……済まされないんですよ?」
「先生!」
 あたしの声と同時に、がたんって椅子が床に落ちる音。先生の座ってた椅子が倒れたんだ。
「それでも……貴女は僕が好きだと言う……?」
 先生に肩を掴まれていた。先生はまっすぐあたしを見てた。こっちが切なくなるくらいに、揺れる瞳。
 え? 何? ……どうして?
「先、生……?」
「ほら、貴女にとって僕は“先生”だ」
 先生は顔を歪めて言った。
 ねぇ、それってどういう意味……?
「……あたし……本気だって、言った……」
「貴女はこの高校に入ってまだ間もない……。もっといい人は、たくさんいるでしょう。貴女に合った……年相応の人が」
 それってやっぱり……先生だって、年相応の人の方がいいってことだよね。……柏木先生、とか。
 そうだよ、わかってる。最初からわかってるんだから、駄目なこと。覚悟してきてるんだから……先生? 早く振ってよ。それで、早くつばさの所に戻っ て……たくさん話、聞いてもらうんだから……!
 ちゃんと……そう言わなきゃ。先生優しいから、中途半端に……つらいよ。あたしが、いつの間にかうつむいていた顔を上げたら。
「……っ!」
 すぐそこに、先生の顔があった。
 ドキドキして、心臓が握りつぶされてるみたいに痛みを訴えた。
 そんなの、反則だよっ! 先生には柏木先生がいるじゃない!
「……僕は、教師失格だよね」
 先生がため息をついて、顔を背けた。
 何? 何言ってるの、先生。全然わかんないよ?
「あのですね……僕だって、大人なんですよ? 貴女が本気で言っているのかどうかくらい、わかるんです」
 訳わかんない……! だから何、はっきり言ってよっ!
「貴女が本気じゃなければよかったんですけどね……」
「は……?」
 あ、やば、間抜けな声……なんて、思ってる場合じゃない。
「いえ、貴女の所為には出来ませんね。結局、僕の所為ですし……」
 もう駄目、頭パニック! 元から頭よくないんだから、ちゃんと順を追って説明してよ!
 そんな私のSOSが届いたのかな? 先生は私を見て、にっこりと笑った。……だから、それ反則だってばっ!
「ごめんなさい」
 ドキンって鼓動がはねて。でも、それを自覚するより前に、先生の言葉が私をさらに追い詰めた。
「僕も、貴女が好きですよ。雪村杞優さん」
「え?」
 思考回路停止。
「あはは……やっぱり驚くよねぇ」
 はいそりゃあ。あはは、って先生……。
 ……って、え、何? 今先生、何て言ったのっ?
「放っておけないなって思ったんだ。入学式にいきなり人にぶつかるような子って、なかなかいないし」
 そりゃあ、いないだろうなぁ……。誰だよそんな馬鹿な……。
「ってあたしか!」
「貴女のことだけど」
 ……はい。身に覚えがあります。ごめんなさい。そ、そんなに印象深かったんだ……。あぁっ、あたしの馬鹿! のん気にかっこいい人探しなんかしてる場合 じゃなかったんだよ!
 くすくすと、先生が笑った。これは危ない、弁解しておかなくては。
「先生? あの、ですね。あたし、いつもはあんなじゃないんですよ。……本当ですって!」
「えぇ、だから……そういうところも……好き、なんです」
 あ、もしかして、脳細胞死んでる? 何かいろいろ自分に都合よく聞こえてくるんですけど。先生の声が。
「雪村さん?聞いてますか?」
「や……あの。先生、自分が何言ってるかわかってます?」
 いや、あたしの聞き間違いという可能性も残ってるんだけどね。あはは! って待てあたし、笑ってる場合じゃない!
「わかってますよ?雪村さんこそ、理解してます?」
 いえ、はっきり言うと、理解してないんですけどね……。
「―――先生!」
 急に声を荒げた私に、先生はびっくりしたみたい。
「私、本気ですってば! だから……だから、からかわないでください!」
「はい?」
 駄目だ……泣けてきた……。泣いちゃ駄目だってば、自分っ!
 私はぎゅって目をつぶった。
「……どうして泣くの? からかってるわけじゃないですよ? 僕だって……本気です」
 心を揺さぶる、切ない声。反射的に目を開けると、先生もなんだかつらそう。
「冗談なんかで、生徒に告白なんて出来ないし……」
 そして先生は気まずそうに目をそらした。
「……まぁ、冗談のように言わなきゃ、僕としても恥ずかしいんですけど……」
 え、何? じゃあ……あの、これって……両想い?
「先生……あたしのこと、好きなの?」
「そう、言ったじゃないですか」
 いや言いましたけど。言われましたけど。だって、だって。
「だって、先生、柏木先生は?」
 何だか全部が全部度を通り越してきて、あたしの頭は妙に冴えてきた。
「柏木先生? どうして柏木先生が出てくるの?」
「え……だって先生、柏木先生とキスしてたでしょ?」
 先生が何度か目を瞬いた。
「何の話?」
「今日、ここで……私が来た時、に……」
 先生と柏木先生が、キスしてた。
「見間違いじゃないですか?」
 み、見間違いっ?
「そんなこと、絶対ありませんよ? ―――信じてくれませんか?」
 レッドカード。退場。
 そんなの……そんな言葉、反則だよ……!
「……信じて、いいんですか?」
「事実だし。柏木先生に訊いてもいいよ?」
 いやいや、訊けないからっ!
「信じてくれる?」
「―――はい」
 あぁ、何だか悔しい。すごく、負けた気分。ホッとしてきたら、一気に気が抜けちゃった……。
「すごく、怖かったんだから……っ」
「ごめん」
 先生は困ったように笑った。
「でも、勝手に勘違いしたのは、雪村さんですよ」
「わかってるよっ! 嫉妬したのっ! わかってるっ」
 先生が小刻みに震えてて、顔を上げたら、先生……笑ってる?
「すみません。……でも、誤解ですから」
「それはいいの!何で……なんで先生笑うのっ?」
「……ごめん、言わせないで」
 えぇ! 何でっ?
「ほら、もう帰らないと暗くなるよ」
「え、ちょ……先生?」
「……まぁ、学校ではそれでもいいけど」
 え、だから、訳わからないんですけど……!
「あぁ、そうだ。永山さんにだけだからね、言っていいのは」
「な、何を……?」
「僕らが、付き合ってること」
 や、ヤバイっ! 顔が赤くなっちゃうっ!
「またあした、杞優」
 ねぇ先生、顔が赤いって思うのは、夕焼けの所為だけじゃないって……うぬぼれてもいいですか?
「……はい」
 あぁ、本当につばさになんて言おう。
 ……まずは、ありがとう、かな?

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