4. 恋水

 そしてあたしは。もういいやって思ったの。
 好きなんだから、仕方ないって。そうでしょ?つばさ。
 そう言ったら、つばさは笑って頭を撫でてくれた。仕方ないなぁって、最後は笑って許してくれる。つばさは、いつもあたしの味方をしてくれるんだ。だか ら、あたしもつばさの味方なんだけど。

「松ヶ竹先……せ、い……?」
 もう、私が数学準備室に行くのはいつものことになっていて。っていうか、本当に全くわかんないんだけどね、数学。でも、松ヶ竹先生はいつも笑って私の勉 強に付き合ってくれるんだ。
 今日も悩みに悩んだ末、結局わからずここに来てる。さすがにいつもいつも頼るわけにはいかないもん。先生だって忙しいんだし。っていったって、一週間に 二度も行かない日があったら珍しいんだけど……。
 数学の馬鹿やろーっ!
 ……って、現実逃避してる場合じゃない!
 私はいつものようにドアを開けた。中にいたのは、松ヶ竹先生と、英語の柏木先生。まぁ、柏木先生はうちのクラスの担当じゃないんだけど。
 でも可愛い先生だから結構授業受けたかったかも。うぅ、ライバルなのに……! そんなに可愛すぎるなんて反則だーっ!
 ……だから、そうじゃなくて!
「―――雪村さん?」
 松ヶ竹先生が、ひょっこりと顔を出してきて。フラッシュバック。さっきの光景。
「あ、雪村さん」
 振り向いたのは柏木先生。ねぇ、先生、顔赤いよ。松ヶ竹先生も、何でそんなに楽しそうなの?
「……わかんないとこ、あったの?」
 優しい声。ねぇ、どうして今日はこんなに悲しく聞こえるの?
 ねぇ先生、どうしてなの? 教えてよ!
「いえ……あの、いいです。もうちょっと自分で、考えますからっ!」
 気がついたら、あたしは走り出していた。

 走って走って走って、もうどこを通ったかわかんないくらい。
「杞優? 杞優!」
 ぐいって強い力で引きとめられた。
「どうしたのよ、一体。何が―――」
 つばさだった。
 つばさが息を呑むのがわかった。
「杞優、教室行こう?そこで話し聞いたげるから」
 話したくて、でも話したくなくて……それでも結局、あたしはうなづいてた。

「で? 何があったの? 何で泣いてるのよ」
「え……?」
 泣いてる……? あたし、泣いてるの?
 半信半疑で頬に手を当てたら、濡れてた。
「……松ヶ竹先生?」
 唖然としてるあたしに、つばさが呟いた。
 やっぱりつばさには叶わない。私はうなづいた。
「話したいなら、話聞くけど?」
 もう一回、うなづいて。
 あたしの頭の中に、あの光景がよみがえってくる。今すぐ、消してしまいたいのに。
「きす、してた・・・」
 松ヶ竹先生と、柏木先生。
 つばさは何も言わなくて。……ちょっと困ってるみたいだった。
「先生は、大人なんだよ?学生とは違うの。それはわかるよね、杞優」
 わかる。わかるよ……。
「“先生”は生徒に手を出しちゃいけないの。例え本気でも。わかる?」
「わかりたくないよ……。じゃあ、じゃあ最初からやめればよかったって事っ?」
「言ったよね、本気にならないほうがいいって。でも、杞優だよ、それでも恋するって言ったの」
 そっか……つばさは、私が傷つくこと知ってて……。
「あたしさ、杞優にそう言われて……関係ないなって思ったの。相手が先生だろうが、関係ないって。恋をしたって、結ばれるとは限らない。そんなの、誰だっ て同じだもんね」
 違う? ってつばさが笑って。
 すごいよ、つばさ。どうしてそんな風に考えられるの?
「だから、あたしは杞優の恋を応援するよ? 確かに、相手は大人だし、こっちは高校生。それもちょっと前まで中学生だった、ね。恋愛対象になんて、なりに くいかもしれないけど」
 そうだ。あたしが松ヶ竹先生の立場なら、生徒を、ずっと年下の子供に、恋なんてできる? ……できるわけない。同じくらいの年齢の人が良いに決まって る。松ヶ竹先生で言うなら、柏木先生みたいな……。
「だけどさ、杞優は何にもやってないじゃない」
「何も……?」
「先生に、好きって伝えた? 自分の想い、言ったの?」
「言ってない……。でもっ」
 先生には、柏木先生が……。
「なのに、自己完結するんだ? どうせ駄目だからって、それで諦められるの?」
 つばさがまっすぐあたしを見てくる。
「あたしは、そんな恋しない。あたしだったら、どうせ駄目にしてもちゃんとふられて、諦める」
 つばさ……つばさは強いよ。ねぇ、あたしもそんな風に、なれるかな?
「杞優は、どうする?」
 あたしは……。あたしだったら……あたしは、つばさみたいに強くない。
 でも、じゃあ、ずっとこのまま……? このまま、この想いを引きずっていくの? 無理だって、叶わないってわかってる。だけど……ううん、だからこそ。 あたしは、言わなきゃいけないんだ。始まったばっかりの恋だけど、このまま引きずっていくより、ちゃんと告白してふられて、次に進むほうがずっといいじゃ ん。
「あたし……先生のとこ、行ってくる……」
「いってらっしゃい」
 あたし、がんばるよ、つばさ。がんばるから……帰ってきたら、慰めてね。多分、あたし……一人だったらどうなっちゃうかわかんないから……。
 ねぇ、つばさ……。恋って、こんなに苦しいんだね……。
 いつも通ってる廊下。数学準備室に繋がる道。
 先生、あたし……本当に、本当に先生のこと……。だから、お願い、本気で受け止めて? お願いだから、笑い飛ばさないでね・・・?
「……先生?」
 コンコン、ってノックする。
「雪村さん?」
 優しい、先生の声。

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