I can't forget you...

288  加速するシグナルレッド
(大 友和真→宮野梨華)
「和真」
「勇太。…美緒?」
 苦笑している友人の勇太と、彼の後ろに半ば隠れている恋人の美緒。嫌な予感がした。
「栄創大学の文化祭。美緒ちゃん、行きたいんだってよ」
 やっぱり。和真はため息を飲み込んだ。行かない、行けないと何度も言ったはずなのに。
「だから、俺は」
「何意地になってんだよ。お前が明日の映画に俺誘ってきたの、美緒ちゃんに文化祭行こうって誘われた後みたいじゃん」
 美緒はそんなところまで聞き出したのだろうか。勇太の事だから何の疑いもなくあっさり話してやったのだろうが。誘う相手を間違えたな、と和真は後悔する が、もう遅い。
「別に、他の友達がいけなくなったからお前誘ってやっただけだし」
「何、俺って代わりだったの? なら、美緒ちゃんと文化祭行けばいいじゃんか。約束なくなったんなら」
 プレミアチケットとでも言ってやろうかと思ったが、どうせ後でバレてしまうのはわかっていたのでやめた。
「大学の文化祭、楽しいぞー」
「ならお前行ってやれば」
「和真君、そんなに美緒と行きたくない?」
 瞳を潤ませた美緒が腹立たしい。
「和真。いい加減にしろって。なんか理由でもあるのかよ」
「―――ない」
 勇太がため息をついた。
「なら、行ってやれって。最近お前、美緒ちゃんに冷たくねぇ? 達哉に殺されるぞ」
 達哉は勇太の高校時代からの友人で、美緒の幼なじみでもある。大学に進学した勇太たちと違って、彼の兄が経営しているカフェに就職している。そこは、勇 太に紹介された和真のアルバイト先でもあった。
「―――わかったよ」
 何を秤にかけたのか、もう和真にはわからなかった。梨華と美緒、梨華と会ってしまう事とバイトを首になるかもしれない事、それとも―――自棄を起こした のかもしれない。
 美緒の表情が見る見るうちに明るくなっていくのを冷めた目で見、和真はそういえば今日はバイトの日だったと思い出していた。

「和真! 待てって」
「何」
「何じゃねぇよ、機嫌悪いな。―――なんかあるんだろ。言えないこと。文化祭行きたくない訳、あるんだろ」
 勇太があまりにも真剣な目をしていたせいで、反論しようとした和真の意思はもろくも崩れ去った。
「誰にも言わないからさ。話せよ」
「何を?」
「うぉっ」
 突然背後からかけられた声に、勇太が変な声を出した。先程までの真面目な雰囲気が台無しだ。思わず和真も笑う。
「何だ達哉か…。あぁもう、心臓止まったぞ今。相変わらず気配消すの上手だよなぁ…」
「ご愁傷様。ご臨終だね。うん、残念。つーかお前が気づかないのが悪い」
 まったくそんな風には思わせない無表情で残念などといった挙句、責任転嫁だ。
「ねぇ、ここ店の前なんだけど。勇太邪魔」
「聞きたくないけど一応聞こう。和真は?」
 聞きたくないなら聞かなければいいのに、と和真は思ったが、なんだかんだいって面白いので黙ってふたりを見ていた。
「勇太じゃないから許す」
 勇太は反論しようと思ったが、どうせ無駄なのでやめた。長い付き合いだ、口で勝てないのはわかりきっている。
 今も達哉は平然としていて、勇太の横を通り過ぎ、店へと入っていった。どうやら買出し帰りらしい。
「和真。話、中で聞くよ」
「どこから聞いてたんだよ!」
「はじめから」
 和真は苦笑し、店に入る。もうこれは話すしかなさそうだ。勇太と同じ、和真もまた達哉には勝てないのだから。
 何かの予感がだんだんと強くなっていっている気がする。

297 どうやって嫌いになれって言うの?
(大 友和真→宮野梨華)
「座って」
 まるで取調べでも受けているようだ。和真は苦笑した。
「ねぇ、俺今日バイトの日…」
「知ってる」
 だから何とでも言いたげだ。雇い主がそうなのだから、いいのだろう…そう思って和真は息を吸い込んだ。
 本当は話したくない。だからきっと、少しでも先延ばしにしたいと思っているのだろう。
「―――俺さ、高校のとき付き合ってた彼女がいたんだよね」
「そりゃもてるだろ、お前」
 何度も頷きながら勇太が相槌を打つ。だがそんな彼に達哉は冷たかった。
「もてない勇太は黙ってて」
「達哉! 一言余計だ!」
「事実でしょ。で?」
 和真は苦笑してうなづいた。お前まで俺の事は無視かと勇太が軽くうなだれているのをチラッと横目で見たが、そのまま放っておいた。
「その子が、いるんだよね。栄創大学に」
「―――それだけ?」
 達哉の眼光が鋭くなる。どうやら彼も、彼の大切な幼なじみが最近元気がないことに気づいているらしい。もしかすると相談でも受けているのかもしれない。
「…それだけ、だよ。けど…」
「けど、何。高校のときの話でしょ。別れてるんだろ? 未練がましい」
「達哉!」
 言いすぎだと勇太が口を挟むが、勇太も強くは言えない。勇太自身もその思いを持っていたからだ。
「―――わかってる。でも、お互いに嫌いになって別れたんじゃない。忘れなきゃって思うよ。けど、…っ無理なんだよ!」
 梨華と別れてはじめて口に出した本音だった。
「和真、ひとついいか?」
 それは勇太の言葉だった。
「じゃあ、何で美緒ちゃんと付き合ったんだよ」
「…忘れたかったから。梨華のこと忘れたかった。誰かと付き合ったら…」
 忘れられるかと思ったのに。正直、相手は誰でもよかった。でも、無理だった。和真は拳を握り締めた。
「…馬鹿だね」
 達哉の声は、優しかった。
「無理に決まってるでしょ、そんなの。忘れたくて誰かと付き合うって時点でもう、その子のこと想ってるんだから。いつもその子の影があるのに、忘れられる わけないでしょ。―――馬鹿だね」
 和真はただ頷いた。もっと罵られると思っていたのに、達哉は優しかった。それは彼が、今和真がどんな想いでいるのかをわかっているからだ。和真は自分の 過ちをわかっている。だから、もう何も言わない。
「まだ好きなんなら、会えばいいじゃん」
 勇太がつぶやいた。だが、和真は首を横に振る。
「無理だよ。だって、俺たち離れ離れになるから別れたんだよ? 梨華は大学行って俺と離れるから別れたいって言ったんだから」
「同じとこ行けばよかったのに」
 どうしてそうしなかったのと達哉が聞く。そうすれば、勇太と出会わず、自分とも出会わなかったかもしれないけれど。
「俺、野球が強い大学がよかったんだ。推薦来たし。すごい迷ったけど、そんな理由で同じ大学行っても、梨華は…その子は喜ばないと思ったし」
「相談しなかったの?」
「だってもう別れてたし」
「は?」
 勇太が素っ頓狂な声を上げた。達哉がため息をつき、和真は苦笑する。
「その子、俺より年上なんだ。一個上」
「じゃあ、俺たちの一個下ってことか」
 和真が頷く。
 勇太も達哉も和真より二歳年上だった。それでも勇太が和真と同じ学年にいるのは、勇太が一度入学した大学を辞めて今の浄山大学に入学したせいだ。
「なんだ、和真と同い年だと思ってた」
「和真」
 そんな勇太の言葉も聞かず、達哉が和真の名を呼んだ。
「っておい、また無視か」
「もう、いいから黙っててよ」
「はいはい、わがままなんだから…っで!」
 達哉は無言で勇太を殴った。和真がぷっとふきだす。
「和真、どっちかにしなよ。えぇと、梨華ちゃん、だっけ? 彼女あきらめるのか、もう一度会って話をするのか」
「…わかってるよ。このままじゃ駄目だって」
「じゃあ、もう答えは出てるね」
 達哉が笑う。勇太も苦笑して達哉を見る。結局、達哉は誰より優しいのだ。
「でも」
「でもじゃないよ、男でしょ。それとも梨華ちゃんあきらめる?」
「…無理だよ、俺今のままじゃ梨華の事絶対嫌いになれないし」
 和真は達哉を見つめて笑った。もう決意をした瞳だった。それを見て達哉も安心する。
「ちゃんとけじめつけて美緒と向き合ってよね」
 恋人という今の関係を続けるのか続けないのかは、彼らの問題だ。だが、彼らだけの問題でもなかった。だから達哉はそう言う。
「わかった」
「じゃあ、働いてね、和真」
 まったく、切り替えが早い。和真と勇太は顔を見合わせ、笑う。
「うん」
 和真は立ち上がった。

037 最後に泣いたのはいつだっけ?
(大 友和真→宮野梨華)
「晴れてよかったね」
 何も知らない美緒は笑う。そして、和真も何もないように笑う。
 もし今日彼女の姿を見つけられなければ、もう終わりにすると決めた。もし、彼女の姿を見つけたならば、必ず追いかけて話をしようと決めた。選択肢はふた つにひとつ。
 見つけてみせるよ、梨華。かならず。
 和真は心の中でつぶやいた。決着をつけなければならない、この想いに。そのあと自分の隣にいるのが誰なのかはまだわからない。それでも。
「映画、午後からなの。午前中はどこに行こっか」
「美緒が好きなところでいいよ。元々行きたがってたの美緒だし」
 行きたいところなんてない。自分からは探さない。探さなくても、また出会う運命なら出会えるはずだから。どんなにかすかな声でも、どんなに小さな姿で も、見つけられる。根拠のない自信が和真を勇気付けていた。
「えーっ迷うなぁ」
 和真は美緒に微笑んだ。
 梨華を忘れられない。それを本当に受け入れてから、和真はまっすぐに美緒を見つめられるようになった。自然と美緒にも笑いかける事ができていた。
「和真君」
「どこ行くか決めた?」

 その映画は『ENGEL』という題名だった。パンフレットには「何もないような平凡な日々。そんな中に天使は存在するのです。ふと気がつけば、あなたの 隣に」と書かれている。
「その天使役の人ね、オーディションしたんだけどいい人いなくて、大学中探し回ってやっと見つけた人なんだって」
「へぇ…」
 そのせいか、まだ開幕まで三十分もあるというのに、室内はもう込み合っている。和真たちがすんなり入る事ができたのは、美緒が友達からご招待チケットを もらっていたからだった。協力者や関係者が入れない事がないようにするのが本来の目的だが、客の入りが少ないのを防ぐためもあるらしい。美緒は後者のため にもらったのだが、どうやら必要なかったようだ。
「楽しみだね」
「そうだね」
 和真は本当のところアマチュアの映画には興味がなかったが、美緒が楽しそうにしているのでつい笑って答えてしまった。
 梨華とはまだ会えていない。和真の表情に少し焦りが見えてきていた。
 それから開幕まで、どんな話をしていたのか、和真はあまり覚えていない。ただ梨華の事を考えていて、返事がおろそかだったのだ。
「あ、始まる…」
 美緒の声で我に返った。いつの間にか室内は暗くなっている。
「これより、我がサークルの最高傑作『ANGEL』をお送りいたします。なお、エンジェル役の方の名前は、映画にリアリティを出すため、パンフレット等に も明記しておらず、テロップまで流れません。それでは開幕します」
 誰もいない教室。窓際でひとりの女性が外を見つめていた。大学を出て行く人ごみの中のひとりの男性を視線で追う。女性の横から一枚の羽が舞い降りた。彼 が何を思ったか振り向く。ふたりの視線が、重なった。
 音楽室。合唱隊が練習をしている。その中のひとりが音をはずした。ため息をつく。彼女の隣に白い翼を持つ白い肩が見える。その中の一枚の羽が舞う。楽譜 の上に落ちた。彼女はもう一度歌い始める。
 研究室。たくさんの資料を抱えた男性が頭を抱えている。彼の後ろに羽を持った女性の後ろ姿が映る。背中の翼から一枚の羽が舞う。彼は何かを思いついたよ うにノートに向かった。
「…え?」
 和真の唇から小さな声がもれた。あまりに小さいそれは隣にいる美緒にも気づかれなかった。
 はじめとは別の誰もいない教室。男性が机に向かっていた。後ろのドアの隣に立つ足。そっと男性に近づく。
『だーれだ』
 後ろから男性を目隠しする女性。
『愛美。しかいないだろ』
 愛美がくすくすと笑う。手をはずして男性の前にまわる。
『帰ろう』
『待てよ、ごまかされないぞ。話があるんだろ。いい加減話せよ』
 愛美が悲しそうに笑い、立ち上がる。秀樹に背を向ける。
『じゃあ、言うね。―――好きだよ』
『は…』
『秀樹の事、好きなの。何よ、自分が言えって言ったくせに』
『俺は』
『知ってる、好きな人がいるんだよね』
『それ…お前だけど』
 机の上に立つ白い裸足の足。ゆっくりとカメラは上に上がる。白い衣装、白い翼。優しい微笑をたたえる口元。「天使」の顔がアップになった。
「…っ!」
 梨華。
 和真は心の中で叫んだ。その一瞬、呼吸さえ忘れた。身体中が、痺れるような感覚。
 「天使」が微笑む。その視線はしっかりと和真を捉えていた。
 梨華が微笑む。一瞬で高校生時代の楽しかった思い出があふれかえる。その全てで、梨華は笑っていた。和真に向かって。
 和真の瞳から涙がこぼれた。久しぶりに。ずっと泣く事すら忘れていた。笑っていたのも本当か嘘かわからない。
 映像が視線を絡ませる秀樹と愛美を見つめて微笑む横顔に変わっても、梨華は和真に向かって微笑みかけていた。

085 運命螺旋
(大 友和真→宮野梨華)
 angel…宮野梨華
 テロップの出演者の終わりにそっと咲き誇る名。
 映画が終わるや否や、和真は立ち上がった。隣の美緒が驚いて和真を見上げる。
「ごめん、用事ができた」
「え?」
「…ごめん。俺、行く」
 余計な事などひとつとして思いつかなかった。彼女を探さなくては。梨華は確かにここにいる。会わなくては。―――会いたい。
 人ごみの中を潜り抜けて、和真は前へ前へと進んだ。きっと梨華もこの映画を見ているはず。いったい、どこで?
 この部屋の中にはいない、しばらく探してそう確信した和真はそこから飛び出していた。会いたい、会いたい、どうしても。会って話がしたい。もう一度、ス クリーンを介さない梨華の笑顔が見たい。まだこんなに好きだ。
「…梨華」
 走って、走って、息が切れても、まだ走る。落ち着け―――と思うのに、どうしても早まる気持ちを抑えられない。このまま会えないのだろうか。―――まさ か。会える。確信は、ある。
 ハッと和真の足が止まった。背に流れる黒髪。困ったように笑う横顔。
「梨華…」
 人ごみの中に、小さな彼女を、見つけた。
 だが、再び走り出そうとした和真の足は止まった。人ごみが流れる。見えなかったものが見えてきた。
 荒い息のまま、和真は動けなかった。
 微笑む梨華の隣に、彼女に向かって優しく笑いかける男性がいた。何を話しているのか、声は聞こえない。だけどふたりが親しい間柄である事は見て取れた。
 和真の何もかもが地面に叩きつけられた。―――無理だ。
 和真はとっさに踵を返していた。あの間に割って入ることなどできない。梨華はどんな風に自分を見るだろう。微笑んでくれるだろうか。それとも、困った顔 をするだろうか。
 恋人なの、と紹介されたら? 和真には笑ってそれに対処できる自信はかけらもなかった。
 何ひとつ確かな事はない。それでも、ひとつだけわかっていることがある。梨華は、笑っている。何もなかったかのように。全て忘れてしまったかのように。 和真がその場にいると気づきもしないで。
 和真にはそれが耐えられなかった。もうこんなに恋焦がれているのは自分だけだというのだろうか。和真は自分のおろかさに気づいた。まだ梨華が自分を待っ ていてくれているかのように感じていた。梨華は自分を笑って受け入れてくれると確信していた。それを裏付けるものなどなにもないのに。
「梨華―――」
 もう、梨華との関係はとっくの昔に終わっていたのだ。そう思い知らされた。

「梨華?」
「あ…ううん」
「またぼーっとしとったんか」
 あきれてため息をつく遼哉に、梨華は何も言い返せない。
「いつか魂抜けてまうぞ」
 本気で心配してくれているのか、からかっているだけなのか、わからない真面目な表情で脅され、苦笑する。
「―――知ってる人が、いたような気がしたの」
「そりゃ、こんなに人おるんやから、ひとりやふたり…」
 遼哉が急に言葉をとめた。
「…? 何?」
「恋人、とかか」
 疑問というより確信に近い言い方に、梨華の頬は赤くなった。
「ち、違うの…っ」
「へぇ」
 遼哉はふっと笑った。
「わかりやす」
「ち、違うってば…っ。今は恋人じゃないものっ」
「あぁ、元彼」
 激しく動揺する梨華が面白くて、笑ってしまった。自分から白状しておきながら、まったくそれに気づいていないのだから、たいしたものだ。
「梨華さーんっ!りょうーっ」
 そこに千里が駆け寄ってくる。ひとまずこの話は終わりそうだと思い、梨華は安堵した。
「―――まだ好きなんや」
 遼哉の小さな声にハッとし、戸惑ったが頷いた。
「追いかけろや」
 梨華が首を横にふった。
「見間違いかもしれないもの」
「へ? 何が?」
 やっとふたりの前へたどり着いた千里は、何の話だかまったくわからない。
「―――さぁ、な」
 だが遼哉にはぐらかされた。梨華はそれに再び安堵する。今はまだ、あまり人に彼―――和真の話はしたくなかったから。
 自分たちの知らないところで、もうすでに運命に巻き込まれているとも知らず。

195 嫌いになったんじゃない、始めから好きじゃなかっただけ
(大 友和真&宮野梨華)
 それからひとつ、決めた事がある。
「和真君!」
 次の日、大学で。和真は美緒を呼び出した。
「話って何?」
「―――別れよう」
 何の前触れもなく和真は告げた。美緒の瞳が驚きから悲しみのそれに変わる。和真の胸が少し痛んだ。
「どうして?」
「好きな人がいるから。だから、美緒とはもう付き合えない」
「美緒の事…もう好きじゃないってこと…?」
 美緒の瞳が潤んでいる。
「―――違う。嫌いになったんじゃないよ」
「じゃあっ」
「別に、元々好きじゃなかったんだよね。相手に都合よかっただけ」
 ついに美緒の瞳からはらはらと涙がこぼれ始めた。
「じゃあね、バイバイ」
 和真は美緒を置いて歩き出した。今日はバイトの日。―――達哉に怒られるだろうか。

 達哉は文化祭の事を聞いてこなかった。だから和真も話さない。こんなものかと思っていた、その時。
「―――達哉。和真、いる?」
「何。怖い形相して。変な用事だったら、和真はいないよ」
 つまり、くだらない事で怒っているなら和真を出す気はないと達哉は言っているのだ。
「ちげぇよ!」
「勇太。ここ、カフェ。店。雰囲気壊さないでくれる?」
「―――休憩取れないか? お前と、和真と」
 めったに怒らない勇太が本当に怒っている。達哉はため息をついて奥へと入った。
 やがて和真を連れてふたりで出てくる。
「長くは出られないよ」
 何も知らないからなのだろうか。達哉は和真の側についているように思える。それが勇太をますます苛立たせた。
「わかった」
 三人は近くの公園へ入った。まだ子供たちが遊んでいる。
「それで? 話って?」
「和真はわかってんだろ。美緒ちゃん。泣いてたぞ」
 和真は何も言わなかった。否、何を言えばいいのか、正直なところわからなかったのだ。それに、多少は覚悟していた。なじられる事も、もしかしたら殴られ るかもしれないことも。
「そっか。別れたんだ、やっぱり」
 達哉は怒っていなかった。だが、やっぱりという言葉に和真は驚いた。
「やっぱ勘付いてたのか」
「うん。和真ちらちらこっち見てくるし。怯えた子犬の目で」
 怯えた子犬の目。達哉の表現の仕方がおかしいのか、それとも本当にそうだったのか、その真意はわからないが、どっちにしろ和真は多少落ち込んだ。まさか 自分が子犬に例えられるとは。
「それがさー、怯えてるんだけど、何か構ってほしいっていう目で。つい無視しちゃった」
「は?」
 和真が驚いて声を上げると、達哉はにっと笑った。
「達哉!」
 痺れを切らしたのだろう、勇太が声を荒げた。
「で、勇太は何をそんなに怒ってるわけ? 和真が梨華ちゃん好きな限り、付き合い続けられるほうが、美緒にはひどい事だと思うけど、俺は?」
「梨華の名前覚えてるんだ…」
「可愛い名前だから」
 達哉の頭の中は可愛いもので埋められているのだろうか? そう思って和真は変な恐怖に駆られた。
「別れるのはいい。けど、好きじゃなかったって言ったんだぞ、こいつは!」
「美緒に?」
 勇太が嫌そうに頷いた。
「でもまぁ、梨華ちゃんのこと忘れるために付き合ったわけだしね」
「お前は和真の味方なのかよ、それでいいのか!」
「だって、ねぇ。かわいそうでしょ、和真」
 達哉の言葉に、和真は驚いた。きっと、達哉のほうがもっと怒ると思っていた。達哉はそれほど幼馴染の美緒を可愛がっていた。
「お前!」
「―――ねぇ、和真。言ってもいい?」
「え? …うん?」
「本当はさ、誰でもいいから頼りたかったんじゃないの? その様子じゃ、梨華ちゃんとも仲戻ったわけじゃなさそうだし。誰でもいいから、梨華ちゃんの代わ りにしたかったんじゃないの、今度こそ」
 和真には答えられなかった。冷たい風が三人の間を駆ける。
「でも、しなかったんだろ。逆に、未練が残らないように冷たく別れた、違う?」
「達哉、俺は…っ」
 焦っていた。そんなこと、誰かにわかってほしかったけど、絶対に知ってほしくなかった。
「―――和真」
 勇太が地面を見る和真を見た。美緒が泣きついてきたときには、どうしてやろうかと思っていたけれど。どうしてそんなことを思ったのだろう。和真はそんな 人間じゃない。よく考えればわかったはずだった。
「ありがとね、最後まで美緒の事考えてくれて。あと、勇太が馬鹿でごめん」
「おいっ!」
「否定できないでしょ」
 それは確かにそうなのだが。
「ま、美緒のために怒ってくれたんだから、感謝はするけどね。多分、そうじゃなきゃ俺がキレてたし? そしたらきっと、勇太には止められないから」
 にっこり、笑って言う達哉が心底怖い。
「勇太も、美緒には言うなよ。このこと。美緒が知ったら和真がここまでした意味ないんだからな」
「それくらいわかるから!」
「知ってる」
「わざとか!」
「もちろん」
 余裕。完璧に達哉の勝ちだった。
「勇太…。達哉って怖いな」
「…だろ」
「何?」
「なんでもないです」
 和真と勇太の声が重なり、三人同時に笑い出した。

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