I can't forget you...

117 心に刺さったカッターナイフ
(大友和真→宮野梨華)
「それで、梨華ちゃんとはどうだったの」
 和真は答えようかどうしようか迷った。あまり話したくない。だが、ここまで自分をわかってくれる二人に何も話さないというのは間違っている気がした。
「話は、してない」
「してない?」
 驚いて声を上げたのは勇太。達哉は深刻そうな顔をして何も言わなかった。
「しようと思ったんだ。はじめ、見つからなくて…元々目的は映画だったし…俺、美緒とその映画見たんだよね」
 その主役ともいえる天使が梨華だったこと。もう一度その梨華の笑顔がスクリーン上でなく直接見たいと思ったこと。そして。
「梨華、誰かと一緒だったんだ」
「誰かって…」
「男。楽しそうに笑ってて…俺、話しかけられなかった」
 勇太も達哉も口をつぐんだ。
「話しかけるべきだったんだと思うよ。もしかしたら、彼氏じゃないかも…。でも、わかんないだろ、そんなのっ」
 心の深いところがじくじくと痛い。今でもまだ、それはナイフでえぐられていた。
「わかってる…。俺、弱いんだ」
「―――まったくだね。好きなんでしょ、取り返すつもりでいかなきゃ」
「…っ」
「達哉、言いすぎ」
 言葉にされると痛い。
「勇太は黙ってて。後悔するってわかってたんでしょ。少しぐらい傷つく覚悟でいかなきゃ、始まんないじゃん」
「達哉」
 勇太が顔をしかめる。達哉の言葉は和真の事を思ってのことだとわかっているが、それでも、勇太でさえもその言葉は痛い。まして和真は―――。
「馬鹿だねぇ、まったく」
 達哉の声色が優しくなった。
「おいで。泣きなよ、俺が受け止めてあげるから」
 達哉が腕を広げた。
「…怪しい発言を公共の場でしないで下さい」
 そう言う勇太を一睨み。
 すると和真がゆっくりと達哉に歩み寄ってきた。
「…っ」
 達哉の肩に顔をうずめる。達哉は何も言わず和真の頭をなでた。同じ一回生の勇太、その友達の達哉。名前で呼べ、敬語を使うなと言われたこともあって意識 した事はなかったが、やはりそれでも彼は年上だった。
「もう、仕方ないな」
 勇太が和真の頭をぐりぐりとなでると、バシンと叩かれた。
「おいっ! 対応が違う対応が!」
「勇太は優しくないからだよ」
「どこが!」
「可愛い子は可愛がらないと」
「…俺にそれをやれと」
「やだ、気持ち悪い」
 達哉の言葉に和真も頷く。
「……。うん。いいよ、俺は、それで」
「うん、勇太はいいよ、それで」
 和真のかすれた声が告げた。
「和真…」
「だって。よかったね、ひとりは認めてくれる人がいて」
「―――お前も認めろっ!」
「やだよ、俺お前に関わりたくないもん」
 和真がくすくすと笑い出した。ふたりの傍にいると楽しい。まだ傷は痛むけれど、まだ笑える。大事な人を失う事がどんな事か梨華の一件でよくわかったか ら。ふたりを大事にしよう。大切な友達として。
「でも、もう三年以上は付き合ってるんでしょ」
 和真がからかうと、達哉が顔をしかめた。
「えー。こいつ恋人じゃないよ」
「和真はそんな意味で言ってねぇって!」
 勇太が慌てて言う。
「わかってるよ。なに本気にしてんの」
 本気にしたのはお前のほうだろ、と言いかけてやめた。いい加減学習しなくては。
「そうだったんだ……。俺、てっきり…」
「和真! もう頼むから達哉に便乗するな!」
 半分涙目にすらなりながら勇太が唸る。すると達哉が一言。
「だって、楽しいし、ねぇ」
「うん」
 和真もにっこりと笑顔を作った。
 どうしてやろうか、こいつら。勝てないのはわかっていたが、少しどうにかしてほしかった。なんだかんだで、居心地はいいのだけれども。

024  もう、おしまい。
(宮 野梨華→大友和真)
「…やっぱ、入りづらいよなぁ…。まさか、達哉の奴ここまで見越して…」
 ないと言い切れないのがつらい。彼なら本当にやりかねない。つまり自分は被害者か。―――なんてのんきに考えている場合ではない。
「うっし!」
 意を決して、勇太はそこへ足を踏み入れた。栄創大学の敷地内へ。
「……。すみません、映画研究会ってどこで活動してます?」

 コンコン、とノックの音。千里が立ち上がった。
「うち出ますね。―――はい、どちらさん…」
 千里が開けると、そこには困った顔した男が立っていた。
「えーっと、ここって映画研究会ですよね?」
「そうですけど。何か用ですか?」
「文化祭の映画で天使役やってた、梨華さんっています?」
「梨華先輩? 梨華先輩に用ですか?」
「いる? いるんだ?」
 彼は急に明るい声を出した。
「あーもう、いなかったらどうしようかと…」
「ちょっと待ってください、今呼びます」
 千里は振り向き、梨華の名を呼ぶ。すると奥でがたがたと音がした。
「はいっ」
 誰だろうと思いながら梨華は入り口へと向かった。そして彼の姿を認め。
「………」
 焦る。覚えがない。誰だろう。尋ねてきたという事は、自分を知っているということで…。
「えーっと、梨華、さん?」
「は、はいっ」
「えっと、はじめまして。仲谷勇太っていいます」
「あ、はい…。はじめまして。宮野梨華です」
 梨華は胸をなでおろした。覚えていないのではなかったようだ。
「あの。いきなりなんですけど…」
「はい、なんでしょうか」
「大友和真ってやつ、知ってますか」
 梨華が息を呑む。どうして今、彼の口からあの人の名が?
「知って…ます」
 勇太がほっと息をついた。だが、急に真剣な顔になる。
「失礼を承知で言います。あいつ…この前の練習で肩を怪我しました」
「かずくんが…っ? 治るんですかっ」
 心臓が冷える。あんなに野球が好きだった和真。なのに、肩を怪我したとなれば、もう二度とできない可能性もある。
「前みたいには無理だけど、多分治るそうです。あいつ…なのに、やろうとするんです。野球…」
 梨華はとっさに言葉が出なかった。
「お願いします! あいつを止めてください。多分、梨華さんにしか無理なんです。あいつに会いたくなかったらそれでもいいです、でも何か…」
 そのとき、突然携帯電話の着信音が鳴り始めた。
「え…っと」
「構いません。出てください」
 それは勇太の携帯電話だった。勇太は嫌な予感に苛まれながらそれを取った。
「もしもし? ―――達哉か? 何か…」
『俺じゃもう無理! 梨華ちゃんいいから、お前早く帰って来い、マジでこいつ…ちょ、おい、和真!』
 電話は突然切れた。
「…っ、すみません。またあいつ、暴れだしたみたいで…」
 勇太が苦笑する。
「俺、帰ります。すみません、出直します…」
 お辞儀して走り出そうとした勇太の背に、梨華の声が追ってきた。
「どこにいるんですか」
「え?」
「かずくん、どこにいるんですか!」
「梨華さん…」
 必死だった。彼女も。
「梨華?」
 あまりに遅いから様子を見に来たのか、それとも梨華の声に反応してか。遼哉が顔をのぞかせた。
「りょうくん、私早退するね、ごめんなさい!」
「何か用事できたんか?」
 梨華が頷く。
「わかった、先輩には言うといたるから、はよ行け。緊急なんやろ」
「ありがとう…」
 そして梨華は勇太を見上げる。
「私も一緒に行ってもいいですか」
「そんな…もちろん、ありがとう!」
「いいえ、御礼を言うのは、こっちのほうです」
 会わなくては、和真に。会いたい。もう何も、余計な事を考えている時間はない。悩むのはもう終わり。
 梨華は彼の元へと走り始めた。

079  空洞ノスタルジア
(宮野梨華→大友和真)
 何も残っていない。もう、何も。
 梨華がいなくなって、全てを忘れるように取り組んだのは部活だった。
 今度また―――本当に梨華をあきらめて、なのに、もうそれは残っていない。
 好きなこと、趣味、夢―――全部を託した野球が。
 大丈夫、治りますよと医者は言った。だけど、前のようには無理だという。
 肩を痛めて、検査のために入院して、リハビリのためにまだここにいる。
 野球がしたい。こんな閉ざされた空間になんていたくない。走りたい。キャッチボールがしたい。野球がしたい。まだ痛む傷跡を、忘れさせてほしい。
 気がつけば今日も、和真はふらふらと外へ出向いていた。
 勇太も達哉も何度となく見舞いに来てくれたが、戸惑っているのは彼らも同じで、少し息苦しかった。気持ちはありがたいが、やっぱり野球がしたい。
「和真!」
 達哉が追ってきた。だが、和真の視線は病院の庭でキャッチボールをしている少年たちにあった。
「ね、お兄ちゃんも混ぜてよ。うまいんだよ、俺」
「和真! 何考えてんの! もう野球できなくなるよ!」
「このお兄ちゃんのことは気にしなくていいからさ」
「いい加減にしろっ! 今よければそれでいいわけじゃないでしょっ!」
 達哉が声を荒げるが、和真にはそれがどうしてなのかうまく理解できなかった。野球がやりたい。もうできなくなってもいい、やりたいんだ、今。
 帰る場所はない。彼女の隣にはもう望めない。こんなに望んでいるのに。
 達哉が電話をかけ始めた。和真は、これ幸いと少年たちの中に交じっていった―――笑顔で。

「じゃあ、乗って」
「あ、はいっ」
 梨華は後部座席のドアを開けた。
「あ、前でもいいけど?」
「だめです、助手席は恋人さんのものでしょう?」
 勇太は唖然とした。強い言葉になんだか妙に納得してそのまま運転を始めたが、だんだん疑問がわいてくる。
 エンジンをかけ、車を走らせ始めてから勇太は言った。
「俺、べつに恋人とかいないからよかったんだけど…」
「いえ、今彼女さんがいなくても、取っておくべきです」
 変わってる子だな、と思って苦笑するが、梨華にそう言われるとそれが正しいように思えてくるから不思議だ。
「まぁ、これ俺の車じゃなくて友達のだけど…じゃあ取っておこうかな」
 勇太は免許は持っているが車は持っていない。これは達哉から借りたものだった。もっとも、彼も乗ることはあまりないのだが。
「それに、梨華ちゃんも彼氏じゃない人の助手席乗っちゃ駄目だよな」
「あ、でも私も彼氏いませんから…」
「は?」
 勇太はもう少しで急ブレーキをかけてしまうところだった。
「え?」
 梨華の不思議そうな声が後ろから聞こえてきた。
「でも…ほら、何か仲よさそうな男の子が…」
「えっと、りょうくんのことですか? 彼、旭川遼哉君って言うんですけど、彼とは学年と学科が一緒で…あと、サークルも一緒だから仲がいいんです。それ に、彼には地元に恋人さんがいますし」
「そ、そうなの?」
 和真に梨華が文化祭で仲のいい付き合っていそうな男の子と一緒にいたと聞いていた勇太は、てっきり梨華には彼氏がいて―――それがさっきの男の子、つま り遼哉だと思ったのだ。
「あいつの勘違いか…」
「え?」
 つぶやいた声は梨華にはよく聞き取れなかったらしい。だが勇太も無意識のうちに声に出していたので、聞かれていなくてほっとした。
「いや、なんでも…。じゃあ、梨華ちゃんは…ってあぁ、俺、梨華ちゃんの名前しか知らなくて…勝手に名前で呼んでたんだけど、いいかな?」
「えぇ、いいですよ」
「ありがと。えっとじゃあ、話戻そうか。…じゃあ、梨華ちゃんはどうして和真のところに…?」
 もしかして、という思いが勇太の胸にともる。二年という歳月がとてつもなく長いものだとはわかっていたが、勇太の傍にはその二年間をずっと梨華を想い続 けていた和真がいた。ありえないことではないと何の疑問もなく思った。
「彼が…どれだけ野球が好きなのか、私はよく知ってます。もう、二年以上も前の事です…、でも、そんなたった二年で変わるような気持ちじゃありません。だ から…彼が自暴自棄になってしまうのもわかります」
 だから会いに行く。もう自分を必要としていなくてもいい。でも、彼が、勇太が自分を知っているということは忘れられているわけではない。元恋人としてで なくていい、元マネージャーとしてでもいいから、和真を助けたかった。自分にどれだけの事が出来るかなんてわからない。でも、居ても立ってもいられなかっ た。だから、会いにいく。
 だって、会いたくて仕方がないから。本当はずっともう、昔から。どんな形でもいい、もう一度彼の近くに居場所がほしい。
「よし! じゃあ病院はもうすぐそこだから急ぐか」

092  抱きしめて、離さないで
(大友和真&宮野梨華)
「和真! いい加減にしろっ!」
 達哉が和真を取り押さえようとするが、力ではかなわない。ずっと野球をしている割には和真はやせているほうだが、達哉もそれは同じ事だし、第一トレーニ ングをしているのとしていないのでは随分違う。
「お兄ちゃんたち、ケンカしちゃだめっ! みんなで一緒にやろっ」
 少年たちは無邪気だ。達哉は怒鳴ってやろうかと思ったが、今はそれどころではない。
「達哉、俺、野球やりたいんだよ…」
 人は無くしたと思ったらそれを欲しがる。
「和真…」
 どうすればいい? 何が和真にとって一番いいことなんだろう。達哉にはもうわからなくなってきていた。
 達哉の腕から力が抜ける。
「かずくんっ」
 そのときだった。ソプラノの声が聞こえてきて、和真の動きが止まった。
 何かと思って達哉が振り向くと、そこには勇太と女の子の姿があった。
「勇太…」
 もしかしてその子が? と目で問いかけると、勇太はその意を察したのだろう、頷いた。
「言ったよね、私…っ! ずっと、言ってたでしょう…、自分の身体は自分で管理するようにって…っ! 今、かずくんに必要なのは何…? もう、野球できな くなってもいいの…っ?」
 和真は振り向かない。梨華を見ない。
「治るんでしょう、今安静にしていたら…。お願い、後で後悔するような事、しないで…!」
「―――わかってるような口利くなよ!」
 梨華の肩がびくっと震えた。
「何がわかるんだよ、梨華に…」
「私は…っもうなにも、かずくんのこと、わからないのかもしれない…。でも、かずくんが野球が好きなことは知ってるから…っ、だから今つらい事だっ て…っ」
「梨華にはもう関係ない!」
「和真!」
 勇太の声が飛ぶ。和真が振り向いた。梨華にとっては二年ぶりになる彼の正面から見た姿。梨華は自分で思っていたよりずっと動揺していた。それは和真も同 じ事だった。
 ずっと大人びた顔立ち。記憶の中とは違うそれに、和真も梨華もたじろいだ。二年という月日が重く肩にのしかかる。
 もう、何も声にはならなかった。野球の事も、肩の事も関係なかった。ふたりのなかにあるのは二年前の想いだけ。
 どのくらいそうしていただろうか。それは一瞬にも思えるし、永遠にも思えた。
「―――梨華」
 久しぶりに呼ばれた、名前。先程の言い合いには感じなかった、この気持ちはなんだろう。胸が苦しい。
 不安げに見上げてくる瞳。きれいなままのそれを見つめていると、今まで自分が何をしていたのかわからなくなってきた。
 何も考えられない。ただ和真は思うままに梨華を抱きしめた。
「か、ずくん…」
 梨華の揺れる声。おずおずと背に回される手。今確かに腕の中にあるぬくもり。
「俺…っ」
 そのとき和真は気づいた。梨華の肩が小刻みに震えている。ぎゅっと和真の肩に額を押し付けて、梨華は―――。
「梨華…?」
 和真はそっと梨華を放そうとするが、梨華は小さく首を振った。
「泣いてる…?」
「…っ」
「ごめ、俺…っ」
 どうすればいいのだろう。嫌だったのだろうか。でも梨華は和真から離れない。思考回路は途切れていた。何から考えていいのかわからない。
「ちょっとふたりともさ。落ち着きなよ。和真、病室行こう」
 勇太は達哉を止めようとして、やめた。周囲の視線は明らかに和真と梨華に向かっている。
「そこでふたりで話しなよ。俺と勇太出てるし」
 ね、と同意を求められ、勇太は頷いた。
 梨華がゆっくりと顔を上げ、涙をぬぐった。
「梨華、目、こすったら腫れる…」
 和真はその手を取る。それは自然に出た行為だった。もう二年も前の事だと言うのに、習慣はまだ途切れていないらしい。
「話、する? 行こう…」
 随分ためらった後、和真は梨華に手を差し出した。梨華はためらわずにそれを取る。やがてふたりはゆっくりと歩き出した。

074 重なった影
(大 友和真&宮野梨華)
 どうすればいいのか、最善の方法はわからなかったが、達哉に言われるまま病室に戻った和真は梨華に椅子を勧 め、自分もその前に椅子を持ってきた。
「え…っと、俺…」
 だが、会話は途切れる。
「…肩……大丈夫、なの?」
「あ、うん…。今少しずつリハビリして…」
 梨華はうつむいて和真と視線を合わせようとしなかった。和真も梨華を直視できない。
「治る、んでしょう?」
「…うん。前みたいには、無理…らしいけど」
「だ…大学、入ったんだね」
「うん…、プロになるほどは、実力もってないし…」
 会話はゆっくりと進む。
「夏…、惜しかったね」
 一年前、和真が三年だったときの大会の話だ。
「もしかして…来て、くれてたんだ」
 梨華は頷いた。
「春も、夏も…行ってたの…」
「そっか…ありがと」
 梨華が口をつぐんだ。もう、話すことがない。
「…ごめん。…その…わざわざ、来させて」
「そんなことは…っ」
 とっさに上げた顔。視線が一瞬だけ絡んで、梨華がひるむ。
「強引だったんじゃない、勇太」
「私が…っ、私が行くって言ったの…っ」
「そっか。ごめん、心配かけて…。もう、梨華は俺のマネージャーじゃないのに」
 違う。そんな意味できたのではない。でも、どうやって言葉にすればいいのかわからなかった。
「俺、もう心配かけないから…。だから、戻れよ」
「戻る…?」
「こんなふうにさ、いちいち元彼のところ来てたら、誤解されるだろ」
「私…っ」
 梨華はぎゅっと両手を握って痛む胸をこらえた。
「そんな、誤解されて困る人いないわ…っ」
 梨華の瞳に涙がにじんでくる。
「ほ、んとに…?」
「本当よ…っ、ずっと、彼氏、なんて…っ」
 気がつけば、自分でも知らないうちに和真は立ち上がっていた。腕は梨華を抱きしめる。
「ねぇ、梨華…そんなの…。期待、してもいいわけ?」
「かずく…っ」
「梨華にとって、俺たちの関係は…もう、過去のもの?」
 梨華は戸惑った。何が起こっているのか、よく理解できない。
「俺、さ。ずっと、梨華の事好きだったんだよ。他の子とも付き合ったけど、それはやっぱり梨華の代わりで…」
「…っ」
 和真は梨華が泣き始めるのを感じた。どういう涙、なのだろう。
「今も、好き…。だけど、梨華のなかでもう終わってるなら、俺…」
「私も好きです…っ」
 梨華の震える声が病室に響いた。
「私…、ごめんなさい、自分から別れようって言ったのに…あなたのこと、好きじゃなくなることなんて、無理…っ」
 和真の梨華を抱きしめる腕の力が強くなった。
「やり直したい。もう一度、梨華とつきあいたい…。大学、違うけど…会えるようにするから、梨華…」
 梨華が首を横にふった。
「会えなくても、大丈夫…」
「ほんとに?」
 和真は自分の腕の仲で梨華が頷くのを感じた。
 そっと梨華の身体を離す。震える指で、梨華のぬれた瞳から涙をぬぐった。一瞬にして梨華の頬が赤くなる。それがあまりに変わってなくて、和真はほほえん だ。
「俺とやり直してくれますか」
「はい…」
 おずおずほほえみを返してくれる梨華の頬を包み、和真はゆっくりと口付けた。窓から差し込むオレンジの光に背を向けて。

247 切れた赤い糸を結びなおして
(大友和真&宮野梨華)
 ノックの音がして、ふたりはハッと離れた。なんだか気まずい。
「和真? いるんでしょ、入るよ」
「え、ちょ、達哉…っ」
 容赦なく入ろうとする達哉と、そんな達哉を止めようと試みた勇太、結局ふたりが入ってきた。
 達哉は若干顔の赤い梨華をみてにっこりと笑う。
「うん、ほんとに天使ちゃんだね」
「え…」
 一瞬わけがわからないといった顔をした梨華だったが、その意に気づいてかぁっと赤くなる。
「み、見たんですか、映画…」
「ううん、俺は見てないよ。和真は見たけど」
「え…」
 おずおず見上げてくる梨華に、そういえば彼女は知らなかったんだと納得する。
「うん、見た、よ」
「あ…う…」
 梨華はうつむくが、耳まで真っ赤だった。
「……も…しかして、その後、会った?」
 かすれるほどの小さな声が突然尋ねる。
「え?」
「う、ううん、なんでもない…」
「あの、さ。俺、その後、梨華に会いに行こうと…っていうか、見つけたけど、その…」
 沈黙が部屋を包む。達哉はにこにこしてふたりを見つめていた。
「梨華、男と一緒だったから…」
「た、多分、それ、りょうくん…」
「え?」
 和真は梨華の顔を見ようとしたが、全力で拒否された。
 あの日、彼が居たような気がしたのは、本当だったのだ。そんなこと、言えるはずがない。
「映研の人…、お友達…」
「あ、あの人?」
「何、勇太知り合い?」
 聞いてきたのは達哉の方だった。
「あー、部室で会った。クールそうな人。地元に彼女居るって人だよね」
 梨華が頷く。和真が心なしか安心した表情に変わった。
「…いつの間にそんな話したの?」
 が、怒りを含んだ達哉の声に勇太は戸惑った。
「く、車の中で…」
「ふーん。俺が和真止めるの必死だった時に、こんな可愛い子とそんな話してたんだ」
「い、いやいや。可愛い子って。梨華ちゃん可愛いけど…」
「…俺、梨華とより戻したから!」
「ちょ…っかずく…」
 だんだんひいてきていた赤みが戻る。確かにそれは事実だが、そうはっきりと宣言されると恥ずかしい。
「あぁ、大丈夫、取る気はないから」
 達哉がにっこりと笑う。その変貌振りは見事なものだった。
「達哉、女好きだからな…」
 はぁ、とため息をついた勇太を達哉は再びにらみつけた。確かに、達哉の「彼女」は途切れる事がないのだが。
「女好き? 違うよ、可愛い子が好きなだけ。で? 話はまだ終わってないよ」
「いやいや、何も話さないってのも気まずいと…思うのですが…」
 言いながら達哉の顔色を伺う。ぴくりと彼の眉が動き、ドキッとする。また何か言われるのだろうか。そもそも、なぜこんなにも怒られているのかがわからな い。
「うん、それはそうだね。女の子乗せてるのに話のひとつもできないなんてありえない。だけど、内容ってものがあるでしょ」
「な、流れってものが…」
「言い訳しない」
 一刀両断される。
「すみませんでした」
 ここは謝っておくのが得策かもしれない。というより、得策だ。結局のところ、付き合いは長いのだ。対処の仕方はわかっている。
「わかればよろしい」
 うまくいったらしい。勇太はほっと肩の力を抜いた。あとは達哉は梨華に絡んでいくだろう。かわいそうにと思いながらも、邪魔をすると後が怖いので黙って おこうと決めた。いつまで続くかはわからないが。
「えっと、梨華ちゃん?」
 顔を上げた梨華に、達哉は極上の笑顔を向けた。
 かわいい。リスみたいだと達哉は思う。
「白石達哉です。よろしく。これね、俺と兄貴でやってるカフェなんだ。よかったら来てよ。和真もここでバイトしてるしね。もちろん、居ないときでも大歓迎 だよ」
 ポケットからチラシを出して梨華に渡す。梨華は笑顔で受け取った。そこには「カフェ・グリーンアイズ」と書かれている。
「あ、ありがとうございます…」
「あーっもう! 内緒にしとこうと思ったのに…」
 梨華が来たら緊張して仕事できない、と和真はつぶやいた。
「かずくん? 行かないほうがいいなら、行かないから…」
「ううん、全然いいんだよ。おいでよ。和真もほんとは来てほしいんだから」
 相変わらず笑顔満開の達哉が言った。
「え、でも…」
「梨華ちゃんだって、自分の映画、和真に見られるの恥ずかしいけど、やっぱり見てほしいって思うでしょ? それと同じ」
 その言葉に、梨華は納得する。和真を見ると、いいよとつぶやいた。
「カフェって…素敵ですね、白石さん」
「達哉でいいよ。ありがと。元々は俺の兄貴がやってたとこなんだよ。和真ともそこで知り合ったの。そこに居る勇太が和真を紹介してきて、ね」
 梨華が勇太に視線を移す。勇太は苦笑いした。あまり何かをして達哉の逆鱗に触れてはいけないので控えめにする。どうやらそれで正解だったらしい。
「梨華ちゃん? 和真と仲良く、ね」
「え…。あ、はい…」
 梨華が嬉しそうに笑った。
「何、勇太、さっきからチラチラ見てくるけど」
 不意に達哉が言う。勇太は散々迷っっていたようだったが、とうとう口を開いた。
「いや……達哉、ひとつだけ聞いてもいいか? あのチラシ、いっつも持ってんの?」
「さぁね」

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