I can't forget you...
060  涙になったアイラブユー
(大 友和真→宮野梨華)
「ねぇ、今度遊びに行こ?」
 甘い顔で誘ってくる美緒に苦笑して、和真も笑った。
「いーよ、どこ行く?」
 正直、特別行きたいとも思わなかったが、付き合いは大事だと思うから。自分から誘う事がなくなったなと和真はしんみりと思った。
「遊園地がいいなぁ、どこかいいところ知ってる?」
「んー…知らない」
 遊園地に行くのも久しぶりだ。もし、本当に行く事になるのなら。
「そっかぁ。じゃあ、調べてきてあげる!」
「ん、ありがと」
 そういって笑うけれど。笑おうと思わないと笑えなくなったのは、いつからだろう。それは思い返さなくてもはっきりとわかる。彼女と別れてからだ。
「あ…」
 気がついたら、美緒と別れる道に差し掛かっていた。
「また明日だね。バイバイ」
「…うん。そうだね、バイバイ!」
 もう少し話したい、美緒がそう思っているのはわかっていたが、和真は気づかないふりをした。彼女となら、こんな事はなかったのに。いつも家まで送っていった し、彼女の家についてからも長く話し込む事は珍しい事ではなかった。いつも引き止めたのは自分のほうだった。
 和真はそれからどうやって帰ったのかあまりよく覚えていない。いつもの道を通っていつものように帰ったはずなのに、その間の記憶はまったくない。
『かずくん!』
 和真はハッとした。だんだん曖昧になっていく輪郭。消えていく声。なのに、たまにこうして急に彼女は現れる。とびきりの笑顔を携えて。
「…梨華」
 やっぱり間違っていたのかもしれない。美緒と付き合ったこと。まだ自分はこんなにも、彼女を求めている。忘れ切れていないのに。
「俺、どうしたらいいんだろ」
 もう忘れなくては、忘れなくてはと思うばかりで、心は従ってくれない。もう何も戻らないのに。
「りかの、ばか。もう知らないよ…」

256 わたしの抜け殻
(宮 野梨華→大友和真)
「梨華?」
「あ…ごめ…ぼーっとしてた…」
 友人のみどりがあきれた顔をしてまたかとつぶやく。
「ホント頼りないわね、梨華は。これで一人暮らしなんて信じらんないわ」
 梨華は苦笑して何も言わなかった。
 大学生になって二年が経った。高校二年生の時に彼と出会ってから、三年と少しが過ぎた事になる。そして、彼と別れてから一年と少し。
「もうすぐ文化祭ね。映画、どう?」
「さぁ…撮影が終わってからはあまり関与してないの」
「そう。まぁ、楽しみにしてるわ」
 みどりは薄く笑った。クールなみどりは本当に笑いたいときしか笑わない。それを知っている梨華は素直に喜んだ。
「ありがとう」
 まだ忘れられないでいる。
 自分から別れを告げたのに、未練はまだ残っている。多分、それは一生消えないのだろう。本当に好きだった。だから、別れた。
「あ。今日スーパーの特売日…」
「主婦ね」
「晩御飯何がいい?」
 愛媛から上京してきたみどりは、梨華のルームメイトにもなっている。
 生活が変わった。彼と別れ、大学生になってから。忙しすぎて気にとめる余裕もなかったが、それでもたまにふとむなしくなる。物足りなくなる。寂しいと。
「…うどん…」
「うどん…はまだうちにあったかな…。今日は何買って帰ろう…」
 その言葉にみどりがぴくりと反応する。
「チョコレート…」
「もう、甘党なんだから…」
「疲れたときは甘いものよ」
 真顔で力説され、梨華は苦笑した。結局今日は食材と一緒に甘いものを買う事になるのだろう。そういえば、彼も甘いものが好きだった。
「やだなぁ、もう…」
「何か言った?」
「ううん、ちょっと」
 みどりは和真のことは知らない。まだ自分には話すのは無理らしい。話してしまえばそれは過去の話になってしまうから。
「独り言ばっかり言ってると変になるわよ」
「嘘っ」
「さぁ? どうかしら?」
 くすくすとみどりが笑う。楽しい時間だ。こんなに恵まれているのに。いつか忘れられるだろうか、この想いを―――…。

063 夕闇に沈む
(大 友和真&宮野梨華)
「文化祭?」
「そ。ね、行こ?」
 可愛く首を傾げてくる様子に、和真は少し苛立った。たまにこの可愛いはずの仕草が気持ちの悪いものに見えてくるのはなぜだろう。彼女に対してはなったこ となんてなかったのに。想いの差かな、などと思って和真は苦笑した。
「ごめん、無理」
「え、その日なんか用事ある?」
「―――うん」
 本当はないけれど。その文化祭にだけは、いけない。
「そっかぁ。美緒の友達がね、映研にいるんだけど、その映画に出るの。それだけでも、無理?」
 無理と言おうとした和真の言葉が出る前に、美緒は続けた。
「あのね、最近デートしてないし。時間、作ってほしいな、なんて…駄目?」
 しっかり上目遣い。同じ仕草が、彼女と美緒でどうしてこんなにも違う?
「…ごめん」
 そこまでして続けなければならない関係ではなかった。少なくとも、和真にとっては。これで終わりならそれでいい。
 だが美緒は終わらせるつもりはないらしい。
「そっかぁ、わかった。もし用事がなくなったら、一緒に行こうね」
「…わかった」
 和真は笑って答えたが、用事を作ることはあっても空けることはないだろうなと思っていた。

「梨華…。会えないよ、俺には」
 会えるわけがない。広い大学内だ。その上、文化祭ともなれば一般人も多いはず。会えるわけがない。
 それでも、彼女となら会える気がした。彼女になら会える気がした。だから、だからこそ。
 栄創大学。行けるわけがない、梨華の通う大学になんて。もし、梨華の笑顔を見かけでもしたら、その隣に男でもいたら? きっと引き剥がして抱きしめる。 梨華がどんなに嫌がろうとも、きっとこの腕から離せない。
 だから大学だって違うところを選んだ。
 何よりも求める梨華の笑顔を、自分の知らない人の隣でなんて見たくないから。
 この二年で、彼女はどんな風に変わったのだろう。あの天使の微笑みは、流れるような仕草は、小鳥のような声は。全て失ったから美しいものなのだろうか?
 会いたいのに、ためらう。元には戻せない関係なのなら、会うべきではない。臆病な心に気づかないふりをして。
 和真の肩にゆっくりと赤い光が差し始めていた。
 二年前の今頃、梨華は和真へと繋がれた手をきゅっと握りなおしてちょっと寒いねと言った。
 だんだん迫り来る夕闇を、和真は払いのける事が出来なかった。

224 三日月のように欠けた恋
(大 友和真&宮野梨華)
「寒…」
 誰に聞かせるでもなく、和真はつぶやいた。だが、言葉とは裏腹に彼の顔は楽しそうに輝いていた。
 今日は卒業式だ。一番大切な恋人の。
 少し雪が降りそうだ。それもいいなと和真は思う。寒いのが苦手なくせに、梨華は雪を見るのが好きだから。
「かず、くん?」
「あ、梨華」
 梨華の顔が少しだけほころんだ。いつもより表情が硬い。だがそれも今日という特別な日、特別な行事のためだろうと勝手に納得する。
「卒業、おめでとうございます」
「ありがとう…」
 梨華が困ったように自分より背の高い和真を見上げる。
「迎えに来てくれたの?」
「今日くらい、いいじゃん。最後なんだし」
「…そうね」
 梨華が部活を引退してから、なかなか一緒に登下校が出来なくなっていた。和真も野球にだけは熱心なので、さぼろうとしないし、たとえしたとしても絶対に 梨華が許さなかっただろう。
「嘘、最初におめでとうって言いたかっただけ」
 梨華の頬が赤くなる。困ったような笑顔に和真も微笑んだ。
「ありがと」
 蚊の鳴くような声も、和真は絶対に聞き漏らさない。たとえ周りにどんな騒音が障害をなしていても。
「手、繋いでもいい?」
「…途中までなら…」
 隠すつもりはないが、あけっぴらにするのも嫌だという梨華の意志を、和真は尊重していた。本当は全校生徒どころか町中のみんなに知らせてまわりたいくら いだけれども。
 和真はそっと梨華の手を取った。
「あーあ、もう冷たくなってる」
「だって」
「冷え性だもんね」
 和真は梨華の言葉を受け継ぎ、くすくすと笑う。梨華も笑った。
 何気ない朝だった。幸せがあふれているはずの朝だった。卒業式が終わってからの楽しい時間への、階段を上っていたはずだった。
 なのに。

「梨華先輩!」
 和真は学校では一応彼女にも敬称をつける。根は真面目なのだ。
「この後、時間ありますか?」
「祝賀会の後?」
「そう」
 和真は卒業式の後クラスで祝賀会があることを事前に梨華から聞いていた。梨華は自分で人付き合いは苦手だというが、梨華は周りの人を大切にする人だっ た。
「うん。あのね、私も…話があるから…」
「梨華も? わかった」
 嬉しそうに走っていく和真の後姿を見つめ、梨華がそっとため息をついていた事は、誰も知らない。

140 消えない残響、消さない残像
(大 友和真×宮野梨華)
「梨華ーっ」
 嬉しそうに走ってくる和真を見て、梨華の胸はちくりと痛んだ。
「はーっ、冬なのに暑い、ね」
 それは和真が走ってきたからで、梨華の身体は冷えたままだった。どう答えていいかわからず、梨華は曖昧に笑った。
「話って、何?」
 いつも聞く側の梨華が自分から話をすることは珍しい。だから、和真は単純に嬉しかった。
「私は…後でいいの。かずくん、は?」
「いーの。レディファースト。梨華が先だろ」
 梨華が視線を宙に泳がせた。そして戸惑いながら手を伸ばす。梨華の冷たい指先が和真の上気した頬に触れた。
「梨華?」
 ゆっくりおずおずと視線が絡まり、そっと唇が触れ合った。
「え…」
「…さよなら、の……。あ、の、…別れ、たいの。別れましょう」
 それは突然すぎる言葉だった。先ほどの行為でさえ飲み込めていないのに。和真は梨華を見つめた。やがてゆっくりと梨華の言葉が染み渡ってくる。
「どういうこと?」
 和真が口を開いたのはたっぷりと時間が過ぎてからだった。
 梨華は答えない。
「どういうこと、梨華。ちゃんと言って。俺の事嫌いになった?」
 梨華が小さく首を横に振った。もうその視線はずっと下に下がっていて、和真のそれとは交わらない。
「じゃあ、どうして?」
「好きな人が、できたの」
「そんなの…っ」
 聞いてない。そんな人、和真が知る限りいないはずだった。梨華にとって自分は一番で、もちろん自分にとっても梨華が一番だった。目移りするような人はど こにも。誰も。
「ごめんなさい…っ」
 梨華の瞳から涙がぽろぽろと流れて地面に落ちた。身体が、胸の前で握り締めた手が震えている。
 本当に? これは現実だろうか?
「ごめんなさい…」
「誰だよ」
「…かずくんの、知らない人…」
「名前!」
 梨華は首を横にふった。気がつくと、和真は梨華の肩を掴んでいた。
「納得できない。そんなんじゃ、別れてあげないよ!」
 みっともないとはわかっていても、泣きそうだった。梨華を繋ぎとめたかった。どんなことをしても。
「ねぇ。嘘だろ、梨華。別れるなんて…別れたいなんて嘘なんだろっ」
 ずっとうまくいっていると思っていた。微塵も疑った事などなかった。別れなんて来ないと確信していたのに。
「ほんと、よ…。私…っ」
 梨華が両手で顔を覆った。
「嘘だ。梨華に好きな人なんて、できてない」
 震える冷たい手を、和真は梨華の顔から引き剥がした。
「ちゃんと俺の顔見て言ってよ。俺以外の人が好きだって。ちゃんとその人の名前、言ってみろよ。無理だろ?」
 梨華は首をふるが、頑なに目をあわせようとしない。
「ちゃんと、俺に、説明して」
「―――別れたいの…」
 ゆっくりと、搾り出すように梨華の声は告げた。
「好きな人ができたっていうのは…嘘よ」
 和真の肩から力が抜ける。それでも、梨華の手は離さない。
「でも、別れたいの…。自信が、ないの。…私は、大学生で、かずくんは、高校生で…一緒にいる時間だって減るし、お互いに何をやってるかなんてわからない でしょう?」
「そんなこと…」
「そんなことなんかじゃないの! かずくんは、その…かっこいい、し…、三年生ってつらいのよ…。大学生に向けて、やる事たくさんあるでしょう? 一年生 だって入ってくるし…」
「梨華、言いたいことがわからない」
 きつい言い方になってしまったのはわかっていたが、もうどうする事もできないし、おそらく何度先程の時間をやり直しても、同じことになると思う。
「これ以上、付き合っていられる自信がないの。あなたのことを好きでいる自信が…。もう終わりにしてほしいの」
「やってみないとわからないだろ!」
 声を荒げた。梨華は小さくなって首を横に振るばかり。
「好きなんだよ…俺は、今も、多分…これからもずっと、梨華のことが好きなんだよ? なのに、別れたい?」
「先のことなんてわからない」
「だったら!」
 和真には梨華の気持ちがまったくわからなかった。どうしてこんな事を言うのか、まったく。
 そして梨華は和真の気持ちがわかっていたが、それでもどうしようもなかった。臆病なだけかもしれない。だんだん戸惑いが梨華を襲い始めていた。
 あと一言、もしも彼に名前を呼ばれていたら。
「ごめんなさい…」
 未来は変わっていたかもしれない。だけど。
「―――もう、いい」
 お互いに苦しい後悔と中途半端な想いだけが残った。
 自分に背を向けて走り出す和真を、追いかけたい衝動に駆られたが、足は凍りついたように動かなかった。

 今もあのときの事だけははっきりと頭の中に残っている。自分の言った事も、言われた事も、一つ残らず響いてくる。
 そして今、失われようとしているあの姿を、必死で記憶にとどめていた。

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