エメラルドの瞳は何処辺に

「困ったことだよ、アリオスがね、女帝陛下に付いてルシュイアナに行きたいって言うんだよ」
 ルシュイアナはシッキム帝国の帝都だ。
 アリオスの母親が近所の婦人たちに話しているそれを聞いた瞬間、ナターシャは一緒に遊んでいた妹の存在も忘れて走り出していた。
「ナティぃっ! どこ行くのぉっ! 置いて行かないでぇっ!」
 妹のサリタが呼き叫ぶ声も、ナターシャの耳には聞こえていない。ナターシャは、アリオスに会うことしか考えていなかった。
 裏路地に入って、曲がりくねった暗い道を走る。何も用事がなければ、アリオスはいつもその先の空き地で男の子たちと遊んでいることを知っていたからだ。
「アリオスいるっ?」
 案の定、そこには何人か男の子たちが集まって遊んでいた。嵐のように現れた来訪者に男の子たちは遊びを中断する。
「わぁっ? びっくりしたっ!」
「なんだよ、ナティかよ」
「何だ何だぁ? また夫婦喧嘩かぁ?」
 だが、そこにはアリオスの姿は見当たらなかった。
「夫婦じゃないって言ってんでしょうがっ! 何度言ったらわかるのよ、この分からず屋っ」
 しかし、いつものようにからかわれてカッとしたナターシャはすっかり本来の目的を忘れてしまった。女の子らしい、可愛い顔をしているのだが、いかんせん 気の強いナターシャのこと、言われたままでいるのは耐えられない。
「何だとぉ!」
「やるかぁ!」
 男の子のひとりがナターシャの腕を掴んだ。しかし、それに動じるようなナターシャではない。すぐさま振り切って叫んだ。
「何よ、女の子に暴力ふるっていいと思ってんのっ!」
 だが、そこはやんちゃな男の子で、こちらも動じない。少しも気にしていないようだった。
「お前みたいな乱暴なやつ女なんかじゃねーよ!」
「そうそう、女ってのはあの女王様みたいな人を言うんだぞ!」
 女王様、その単語でナターシャは自分が何のためにここに来たのか思い出した。
「そうよ、あたしあんたたちを相手にしてる暇ないの! アリオスいないみたいだし、帰るっ」
 アリオスに会わなければ。それがナターシャの最優先事項だった。
「へん、勝手に帰れ!」
 男の子たちも自分たちの遊びを邪魔されたくない。先ほどはああ言ったものの、女の子相手に喧嘩するのはためらわれる。まして、親などに言いつけられると 怒られるのは自分たちなのだ。
「帰るって言ってるじゃない、耳悪いんじゃないの!」
「なんだとぉ!」
 言い返してきたナターシャに男の子たちも負けずと言い返す。だが、今度はナターシャも目的を忘れるようなことはしなかった。
「勝手に言ってなさいよ、じゃあね!」
 そう言ってまた走り出す。アリオスはどこにいるのだろう。まさか、もう女王様についていってしまったのだろうか。ナターシャは泣きそうになる自分を叱咤 して走り続けた。
 裏路地から出てきたナターシャは考えた。闇雲に走っても仕方がない。誰かに、アリオスを見なかったか聞こうか。
「そうだ! おばさん!」
 どうして気づかなかったのだろう。走り出す前に、アリオスの母親に彼がどこに行ったか聞けばよかったのだ。馬鹿な自分に再び泣きそうになるが、ぐっと堪 える。
 ナターシャはアリオスの家に向かった。母親はいなくても、誰か家族がいる可能性が高い。
「こんにちはっ」
 アリオスの家に着いたナターシャは、荒い息のまま叫んだ。走り続けたせいでいつもより声が出ないのが悔しい。
「ナティだぁっ!」
 すぐさま飛んできたのはアリオスの妹のサヤだった。長女なので、よく遊びに来るナターシャを姉のように慕っている。ナターシャも妹のように可愛がってい るのだが、今は遊んでやる余裕はない。
「こんにちは、サヤ。アリオスはいる?」
「しらなぁい。ねぇねぇ、ナティ、遊ぼうよぉ」
「アリオスなら女帝陛下に会いに行くって言ってたよ。こんにちは、ナティ」
 奥から出てきたアリオスの兄、アルクがナターシャの腰に抱きつくサヤを引き剥がした。
「アリオスに用事?」
 ナターシャは大きくうなずいた。まだ息が切れていて話すのが苦しい。
「ナティぃ」
 サヤはそんなナターシャにはお構い無しに遊ぼうと訴えてくる。
「こら、サヤ。ナティはアリオスに御用があるんだよ。遊んでもらうのは今度。いいね」
「やぁだぁ」
 アリオスより、優しいアルクのほうが大好きなサヤだが、その大好きな兄に諭されても、サヤはうなずこうとしない。
「ごめんね、サヤ。今度一緒に遊ぼうね」
 アリオスの居場所がわかった以上、そしてそれが女帝リルマリンの元だという以上、急がなくてはいけない。けれど、ナターシャにはどうしてもサヤを無理矢 理に振り切ることはできなかった。
「今日がいいっ!」
「サヤ。我侭言うんだったら、これからナティと遊ぶのは禁止だよ」
 アルクの少し強い言葉に、サヤはおとなしくなって黙ってしまった。申し訳ないと思うものの、ここはアリオスが優先だった。
「ごめんね。今度絶対、一緒に遊ぼうね」
 サヤがアルクの手をぎゅっと握ってこくりとうなずいた。それに胸をなでおろし、ナターシャはアルクに礼を言って、再び走り出した。

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