エメラルドの瞳は何処辺に

「あれだよあれ!」
 はしゃぐシルヴィスの隣で、ナターシャはずっと黙ったままだった。じっと見たこともないきらびやかなそれを見つめる。
「ね、ね、綺麗でしょ? 来てよかったでしょ?」 
 興奮の抑えきれないシルヴィスの声に、ナターシャはただうなずいただけだった。気持ちはとても高潮しているのだが、それをうまく表情に表すことができな い。
 馬車はシルヴィスがはじめにそれを見た場所からは離れたところからあったのだが、人が集まっているので少女たちはすぐにそれを見つけることができた。二 人は低い身長と小柄な身体を活かして大人の波を掻き分け掻き分け、最前列へ出ていた。
 都を遠く離れた村の生まれである少女たちだから、これほどにきらびやかなものを見たのはもちろん初めてだった。ナターシャも目をそらせずにいたのだが、 突然横から腕を引っ張られて視界がぐらりと揺れた。
 幸せな気分が急降下していく。つかまれた手を振り払い、文句を言ってやろうと思ってその人物の顔を見て、一瞬絶句した。
「アリオス!」
 にやにやと得意げな笑みの幼馴染みだった。
「よう!」
 驚きに取って代わられていた怒りがふつふつと湧き上がってくる。
「あんた!」
 ところが、言い募ってやろうと思ったそのとき、今度は逆の腕をとられて引っ張られた。
「シルヴィー?」
 何事かとシルヴィスを見るが、シルヴィスはナターシャではなく前を向いたままだった。その視線を追っていくと、そこには綺麗なドレスを着た女の人が立っ ていた。そのままナターシャは目をそらせなくなる。
「綺麗な人だろ?」
 耳元でささやかれたアリオスの声も理解する前に通り過ぎていく。
 娘はナターシャに向かってにっこりと微笑んだ。思わず息を呑む。
「案内してくれてありがとう」
 視線がすっと横にずれたので、ナターシャもつられて横を見ると、くすぐったそうに笑うアリオスの姿。
「あんた何したのっ!」
 思わずナターシャはアリオスの肩を掴んで勢いよく揺さぶった。彼が時折考え無しに行動することをよく知っていたからだ。まさかこんなに綺麗な人に失礼な ことをしたのでは、そう思ったのだ。
「何もしてねぇよ! 案内したんだよバーカ!」
「何ですって、アリオスの方がバカじゃない!」
 ふたりはすっかり周囲を忘れていつもの言い合いを始めてしまった。娘はくすくすと楽しそうに笑っている。
「な、ナティ……」
 シルヴィスの声も届きはしない。
「アリオスというのね、あなた」
 急に綺麗な声がして、重なるほどに激しく言い合っていた二人の声が同時にぴたりと止んだ。周りの大人たちも笑っている。
「お、お前のせいだぞ……」
「は、初めに言い出したの、あんたじゃない……」
 心なしか頬を赤くしながら、それでも互いに譲らない。再び言い合いになろうかというとき、またしても先ほどの声がした。
「あなたの名前は? なんとおっしゃるの?」
 ナターシャが娘を見ると、娘は自分を見ている。ナターシャの鼓動が急に速く鳴りはじめた。
「な、ナターシャです……。みんなは、ナティって呼ぶの」
「そう、ナティ。可愛い名前。私はリルマリンです」
 その名前を聞いた瞬間、ナターシャは大きく目を見開いた。いくら地方の田舎娘でも、その名前はよく知っている。
「女王様っ?」
 リルマリンは何も言わずにただ首をかしげ、にこりと笑った。ナターシャは思わずアリオスを見るが、アリオスも固まっている。どうやら知らなかったよう だ。
「今日は本当にありがとう。おかげで迷わずにこの街へ着くことができました。また機会があれば会いましょうね、アリオス、ナティ」
 やわらかな笑みを浮かべたその人は、呆然としているふたりに背を向けて去っていった。それすらナターシャなどには真似もできないほどすらっとしていてい た。
 シルヴィスもナターシャも、うっとりとそれを見つめる。それは女の子が同じ女に抱く憧憬であるので、アリオスには到底理解できない。
「これだから女ってやつは」
 そういった瞬間、ナターシャだけでなくシルヴィスにまで睨まれ、アリオスは思わず後ずさったのだった。
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