あなたとわたし。

すがた。
「……あ」
 菜々花はぱちりぱちりとゆっくり大きく瞬きをした。かあぁっと頬が赤くなっていくのがわかる。そんな自分に驚いて、ごまかすように頬に手をやったら、バサバサっと音がした。
「え? あっ」
 そういえば、本を持っていたような。けれど、腕の中にはない。ひとりで慌てている自分が恥ずかしくて、菜々花はしゃがみこんで本を拾った。できればこのまましばらく顔を上げたくない。
「なな?」
 ……無理だった。一番、彼には見られたくなかったのに。
 おずおずと顔をあげて、菜々花は後悔した。とすんと尻餅をつく。再び本が床に落ちた。
「何やってんだよ……」
(図書委員失格だなあ……)
 聞いていない。というより現実逃避している。菜々花は頭の隅で、元樹がため息をついたことを理解した。
「なな。なーな。こら、菜々花」
 ぴくっと菜々花の肩が動いた。
「え、え、え……あ、う……」
 菜々花がわかりやすく動揺して、わかりやすく顔を赤くした。元樹が首をかしげた。菜々花の行動が理解できなかったのだろう。ただ、菜々花はわかりやすく照れていた。元樹を見ようとしない。
「俺、なんか変かよ?」
 林檎と化した菜々花に、元樹は少々の不機嫌さがこもった声を出した。慌てて菜々花が首を横に振る。まるで小さな子供のように。
「ち、がう、の。あの、あの……あの、あの」
 さっぱり言葉になっていない。ひどく困ってしまった菜々花は、とりあえず口をつぐんだ。元樹は黙っている。菜々花が落ち付いて、話ができるようになるのを待っているのだろう。
「あの、ね。その、め、がね。かけるんだなあって」
 がくりと元樹が肩を落とした。けれど菜々花にはそんな元樹の行動が理解できるはずもなく、再び慌てふためいてしまう。
「なんつーか、いっそあれだよな、かわいさ余って憎さ百倍?」
 ちょっと違うか、と小さくつづけた元樹に、菜々花は首をかしげた。
「あ! あの、邪魔しちゃってごめんね? 本、読んでたのに」
「あぁ、別に。今日お前が来るの遅かったから、暇つぶしだし」
 菜々花はちらりと床に置かれたままになっている、元樹が読んでいた本を見た。臨床心理学がなんとかなんて書いてある。
(なんか、難しそうー……)
 それでも今度読んでみようかななどと思うあたり、根っからの本好きなのである。
 不意に元樹が掛けていた眼鏡をはずした。
「目、悪いの?」
「いや、そんなには。けどあった方がやっぱ見やすいからな」
「だから、いつもはあんまりしてないんだね。びっくり、しちゃった」
 菜々花は照れた笑みをこぼす。元樹に手を差し出されて、少しだけためらってその手を取る。それからちいさくありがと、といった。
「かけてた方がいいか?」
「え?」
 元樹が悪戯っぽく笑う。菜々花は一瞬きょとんとして、けれどすぐにほほえんだ。
「ううん、もときくんがいいなって思うようにしてくれるのが一番だよ。だって、もときくんはもときくんだもの」
 今度は元樹が赤くなる番だった。

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