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163  どうすればあの空を掴めるだろう?
(宮 野梨華&早坂千里)
「りーかーさんっ」
「千里ちゃん」
 後ろから飛びついてくる千里に苦笑して、振り返る。すぐ近くに千里の顔があったけれどもそれほど驚かなかった。もう慣れてしまったからだ。
「今日もかわえぇですねぇ。さすがはうちのサークルの天使様」
「もう…千里ちゃん?」
 それはやめて、と頬を染める。
「やってほんま、梨華さんて綺麗やしかわえぇし、うらやましいわぁ」
「でも私も千里ちゃんくらい元気があればいいのにって思うわ」
 小首を傾げてほほえむ。千里が少し照れた。梨華は本当に女の子の中の女の子だと千里は羨ましくも誇らしく思う。
「そりゃーうちから元気をとったら何もなくなりますから」
「あ、違うの、そういう意味で言ったんじゃ」
 勘違いされたのかと慌てる梨華に千里は笑って手を振った。
「わかってますて。梨華さんの事でうちにわからんことなんてありません」
「あほな事言うてんな。そないいちゃついとったら梨華が彼氏に怒られるんちゃう?」
 ため息と共に後ろから聞こえてきた声に千里は眉をしかめた。追い越していった肩を睨みつける。
「女の子同士はえぇの。なん、りょう、最近美並に会えんから寂しいてそないなこというんやろ」
「んなわけあらへんやろ」
 梨華がくすくすと笑い始める。梨華や千里といった特別に仲がいい人には別だが、遼哉は基本的に自分からは人に話しかけない。そんな遼哉と千里が話をして いると弾むように話が進んでいくので聞いている梨華は楽しかった。梨華と遼哉が話していると必ず途中ではっきりとした終わりがあるのだが。
「ふぅん? まぁえぇけど?」
 遼哉がため息をついた。
「お前こそ会いたいんちゃうんか、あいつに」
「それなりには会っとるで?」
「違う、美並やない」
 遼哉が眉間に皺を寄せたまま言う。急に千里の表情が硬くなった。
「何で突然……っ」
「突然やない。ずっと思ってたことや」
 にらみつけてくる千里にも遼哉はまったく動じない。むしろ余裕の表情だ。
「最低や」
「まぁえぇけど。あいつからこの件に関しては言うなて言われとるし」
「やったらなんで言うんよ、って、えぇ? 美並が?」
 美並は知っているのだろうか。急に心臓の動きが早くなり始めた。
「理由は教えてくれへんかったけどな。まぁ、お前にもあいつにも考えがあるんやろからえぇけど。俺は素直に会ったらえぇ思うで」
「…うっさい」
 会えるものなら、と千里は思う。何度会おうかと、何度電話しようかと思ったことだろう。それでも、それでも今まで何とかやってきたのだ。全ては彼のため に。
「りょうくん、千里ちゃん困らせたらだめ」
 千里はハッと梨華を見た。自分の事ばかりで梨華のことを忘れていた。
「梨華先輩」
「え…?」
「先輩は、うちに何も訊かんのですね」
 訊かれても答えられない。それでも訊かれないのは少し寂しい。矛盾しているとは思う。
「千里ちゃんが話したいと思ったら話して。人に話せることなのかどうかは、自分じゃないとわからないでしょう?」
 梨華はにっこりとほほえむ。訊きたくない、いや気にならないわけではないだろうに。
「そーいうとこ、ほんま好きですわ」
 千里は空を仰いだ。蒼い。
「梨華さんは、あの空が欲しいと思たことありません?」
「空が?」
「そうです」
 大阪独特のイントネーションで千里がうなずく。
「空には何でもあるんです。願いを叶えてくれる神さまも、全てを見通す目も」
「私は…思ったことないわ。だって、空は遠いものであればあるほど、美しいと思うもの」
 ゆっくりと雲が流れていく。
「うちは…やっぱり欲しいです。あの空から何でも見下ろしたい」
「見守りたい人がいる?」
 千里が言葉に詰まった。梨華を盗み見ると、梨華も空を見上げていた。
「空がつかめたら、どこにでもいけるかしら?」
「行きたいとこあるんですか?」
「貪欲なの」
 ふふっと梨華が笑って肩をすくめた。
「え?」
「いつでもその姿を、見ていたいわ。すぐ傍にいたいの」
 それが和真のことを言っているのだと、千里にはすぐにわかった。
「ひろ…」
「…?」
 久しぶりに声に出した名前。千里は顔のゆがみを隠すように梨華に抱きついた。梨華は何も言わずに受け止めてくれる。
「会いたい人が居るんです」

259 飛び出せ!少年少女
(旭川浩孝&森川美並)
「うん、そう、1の式を代入して…」
「あーもう、なんでこんな計算面倒臭いん?! 世の中には計算機っちゅー便利なもんがあるやんかっ」
 シャープペンシルを机の上に放り投げ、畳の上に倒れこんだ浩孝を見て、美並は困った顔をして苦笑した。
「せやけどそれって、人間の頭脳が機械に負けとるって事やろ?」
「……それもなんか癪やな…」
 そもそも、と浩孝は思う。自分は文型だ。
 対して、美並は理系。ものすごく、文型のような気がするのに。
「頭の出来からしてちゃうもんなぁ」
「計算機と?」
「うん、ちゃうねんけどー」
 俺と美並ちゃんが、と言うと素でそんな事ないよと返される。
 いそいそと起き上がった浩孝はため息をつく。
「なー、美並ちゃん?」
「なぁに?」
 言おうかどうしようか、迷ったがそれはあまり意味がなかった。結果が出る前に口は勝手に話していた。
「千里から、連絡来るんやろ?」
「うん」
 浩孝は頬杖をついて天井を見上げた。
「さすがに呆れられたんかな」
「何か考えがあるんやない?」
 千里から連絡がないことも、千里が浩孝に会おうとしないことも、美並は全て浩孝から聞かされていた。
「俺の事、聞いてきたりする?」
「んー…どっちかっていうと近状報告ばっかりやから…」
 美並も困った顔をする。困った時に首をかしげるのは美並の癖だ。
「千里からなんか聞いとる?」
「ううん、それはないと思う」
 事実、千里は美並にも浩孝の話は一切しない。心配しているであろうに、それをしないのはちゃんとした理由があるからだと、美並にはよくわかっていた。そ れでも、美並はそれを浩孝には伝えない。伝えていいことではないのだ。
「願いってどうしたら叶うんかな」
 美並は目を見張った。そして笑顔になる。
 だから伝えた、彼女に言ったことと同じことを。
「一番大切なもの我慢したら、叶うんやない? ほら、願掛け」
 彼の言った事が、まったく同じことだったから。一字一句違わず。だから美並も、一字一句違わず教えた。
「何で美並ちゃんそない嬉しそうなん?」
「えっと、思い出し笑い?」
 浩孝が笑った。
「かわえぇなぁ。大学、受からんかったんはあれやけど、美並ちゃん独占しとるもんな、僕」
「でも、今年こそは受からんと。りょう君も千里も、ひろ君が来るの待っとるよ」
 遼哉が東京の大学に進学したとき、千里や浩孝は同じ大学に行くことを決めた。みんなで一緒にキャンパスライフを、そのささやかな願いを叶えるためだ。  遼哉がそんな理由では駄目だと言ったから、千里も浩孝も一応はほかの大学を調べたのだ。それでも、同じところがいいと思った。地元の大学にいくと言ってい た遼哉を変えただけの大学ではある。
 最後まで迷ったのは美並だった。何より迷わせたのがそこが東京だった事で、また私立でもあった事だ。美並はどうしても、弟たちを置いて家を出るわけには いかなかった。だから美並は地元の専門学校に進学先を決めた。
「せやな。今の状態やったら弁解の余地もあらへんもんなぁ」
 美並がにっこりほほえんだ。
 遼哉の通う大学を受験した千里と浩孝だったが、受かったのは千里だけだった。だから今、浩孝は大阪で浪人生をしている。東京まで出る事はさすがにためら われたのだ。
「けどな、美並ちゃん。最近俺思うねん」
「うん?」
「俺まで東京行ったら、美並ちゃん独りになるなって」
 美並は交友関係が広いほうでは決してない。ただでさえ美並はひとりで何でも頑張ろうとするのだ。
「ひろ君、私、そういう理由で進学先変えられても困るねんけど…」
「わかっとるよ。せやからな、僕、後期は大阪の大学受けるつもりやねん」
 浩孝に真剣な目で見つめられて、美並は何も言えなかった。何と言っていいのか、分からなかったのだ。
「美並ちゃん、そんな顔せんといて。俺かて第一志望で通るつもりやし、さすがに二年も浪人できん。けど無理して東京行ってもしゃあないやん? せやから、 な」
 美並はうなずいた。
「そう、ひろ君がきめたんやったら、それでえぇと思う」
「ありがと、美並ちゃんならそう言うてくれると思てたわ」
 よしと心の中で決意して、浩孝はシャープペンシルを握った。
「親はこっち残ってくれたほうがお金かからんからええんやろけどなぁ」
 だがふと視線を泳がせた。指を軸に、シャープペンシルで下唇を規則的に叩く。浩孝のちょっとした癖だった。
「でも、りょう君と同じところに住むんやろ?」
「多分、否が応にもそうやろ。うちの親そうする気満々やし。ただでさえ家隣やったんに今度は同じ家かぁ…」
 浩孝が苦笑する。遼哉と千里の住むマンションがルームシェア可能なところであるのが運の尽きともいえる。
 美並は顔に出さないように気をつけながら羨ましいと思った。彼らは腐れ縁だと口をそろえるけれども、仲がいいのには変わりない。彼らの「仲間」に入れて もらえていることは嬉しいと思うが、どうしても踏み込めない領域がある。過去だ。三人は持っているけれど、美並だけが持っていないもの。そんな時いつ も気付いて止めてくれるのは遼哉だが、気遣われているということにはさすがに気付く。
「今のところにそのまま住むんやったら、千里と同じマンションやろ?」
「あーもう、完璧に腐れ縁やな」
 ほら、また。だけど、結局美並は仲の良い三人を見ていることが好きなのだ。まぶしいくらいに少し手が届かないくらいが丁度いい。手に入れてしまったら、 失う事が怖いから。
「仲がえぇんはえぇことやで?」
 浩孝がしばらく考える。だがすぐににっこりと笑った。
「せやな、悪いよりはずっとえぇわ」
「やろ?」
 さぁ、勉強と机に向かった二人を、窓から太陽が見つめていた。

142 ショーウィンドウの中の私
(早坂千里)
 初めて出会った時に一目ぼれしたんだとか、あなたを知っていくうちにとか、そんな理由だったならもっと簡単な 事だったのだろうか? それとも、もっと複雑だったのだろうか、そんなことはわからない。
「梨華ちゃん?」
 千里とふたりで街を歩いていた梨華は慣れ親しんでいるわけではないけれども懐かしい声に足を止めた。
「あ、勇太さん」
 千里はじっと彼を見つめた。一度だけ見たことがある。いつだったかは忘れたが、以前に映画研究会に梨華を探しに来た事がある人だ。
「あ、ども」
 彼が千里の視線に気付いたのか軽く頭を下げてきたので、千里も返す。
「えっと、もしかして俺邪魔した?」
「ううん、そんな事ないわ、ね?」
 梨華が笑って首を横にふり、千里に首を傾げてきた。相変わらず可愛い人だなぁとのんびり考えながらうなづく。
「もう帰るとこでしたし。むしろうちの方が邪魔なんやったら……」
「あ、違う違う。あー梨華ちゃんがいるとか思ったら声かけてたんだよね。だから用事があるとかじゃないんだ、全然」
 あははと笑う彼が一瞬だけよく知っている人に重なった。ドキリだったのかズキリだったのか、心臓が一度だけ大きく波打った。それは必要以上に千里を混乱 させ、困惑させた。
 違う。あいつじゃない。違うけれど―――こんなに違うのに、何故か。
「あー……梨華先輩? すいません、用事思い出してもうたんで、先えぇですか?」
「うん? いいよ、つき合わせてごめんね?」
 少し心配そうな表情になる梨華に慌て、首を振った。
「何言ってんですか、お互い様ですよ。ね。また誘ってください」
 逃げるようだ。頭の中で誰かが自分を嘲笑ったが、踵を返し走り出す千里の足は止まらなかった。

 例えば禁断症状だとか、例えば心の病だとか、これはそんな風に言葉に出来るものなのだろうか? だとすれば、何に当てはまるのか。
「りょうに言うたら呆れられるんやろな」
 ははっと乾いた笑みを漏らす。ふとショーウィンドウに映った自分と目が合う。随分ひどい顔をしている。
「そんなに会いたいんやろか、うち」
 心臓がぎゅうぎゅうに締め付けられて苦しいと訴えた。だが千里はそれを開放する術を知らない。
 会いたいとか、彼の名だとか、寂しいとかいう思い。口にしたならきっと、溢れかえってどうしようもなくなって、留める事は出来はしまい。だから心の中で さえ押し留めた、押し留めてきたのだ。
「寒いな…」
 冬の寒気だけではない。なんというか、心の中がすかすかした。何かが足りない。決定的な何かが。
 千里はそれがなんであるのか明確にわかっていた。
 果たしてここまでする必要はあるのか?
 ―――今更だ。そして何より自分で決めた事だった。全てを覚悟した、―――つもりだったのだ。それが今になって。一番苦しい時を超えたと高をくくってい た今になって。
「会いたいよ…っ!!」
 涙なんて、流すつもりではなかったのに。

234 馬鹿だ、と嘲笑ってくれ
(早 坂千里)
『いつか、また会えたなら、今度は―――』
 梨華の表情が優しいのは、目の前に彼を思っているからだろうか。そう考えて自嘲する。
『あなたを好きだったってきっと伝えるから』
 遠すぎる彼の残像が、真新しい彼に重なって、千里はハッとした。
『だから待ってて―――』
 カットという声と共に梨華がほっと息をついて困った顔をした。千里の横を遼哉が通り抜け、彼はそのまま梨華へとまっすぐ向かう。
「お疲れ」
 ほんの少しだけ口の端をあげて梨華の頭をくしゃっとなでる遼哉に、梨華はますます困った顔をした。
「りょうっ!」
 ぐらっと視界が揺れて、千里は叫んでいた。
「…千里?」
 瞬時に気付く。遼哉はそんなつもりではない。遼哉にとって梨華は妹みたいなものだ。放っておけない存在。美並とは違う。
「千里ちゃん?」
 梨華の声に再び思考に埋もれていた事に気付く。いつの間にか梨華が近くにまで駆け寄ってきてくれていた。それにすら気付かなかっただなんて。
「ごめんなさい。なんか、ぼうっとしてしもて」
 笑う、けれどそれがうまくいっていたのかはわからない。梨華が複雑そうにしているから、うまくいっていない可能性のほうが低そうだ。
「大丈夫?」
「はい。ちょっと寝不足なんです」
 決して嘘ではなかった。昨日はほとんど眠れていない。浩孝と彼の顔が交互に浮かんで眠らせてはくれなかった。
 だからといって。だからといって、ふたりを疑う事はない。梨華には和真という彼氏がいるし、遼哉もあれでどれだけ美並の事を思っているのかよく知ってい るはずだった。
 寝不足のせいだと千里は言い聞かせた。
「休む?」
「大丈夫です! 本気で危のうなったらどこででも寝ます!」
 梨華が苦笑した。
「あほか」
「りょう!」
 ゆっくり歩いてきていた遼哉がぼそりといったのに、千里はちゃんと反応できた。大丈夫だと自らほっとする。
 そのまま通り過ぎていく遼哉を梨華が不思議そうに見ていた。それに気付いたのか、それとも気付かなかったけれども何も言っていなかったことに気付いたの か、遼哉が振り返って言った。
「次俺撮影やから」
「あぁ…行ってらっしゃい。頑張ってね」
 梨華がにこりと笑う。
「あぁ」
 遼哉が少しだけ笑みを作る。
 傍から見れば恋人同士ではないか。そこまで考え、千里は再びそれを振り払った。どうかしている。こんな光景は珍しいものではないのに。今撮っている映画 が、遼哉と梨華が主演のラブストーリーだからだろうか。きっと、そうだ。
「千里ちゃん、ちょっと休みましょう? 台本読むの、付き合ってくれる?」
「えぇ、もちろん!」
 気を遣ってくれているのかもしれない。だったら尚更、心配をかけないように彼女の傍にいよう。もっとも、本当に誰かに傍にいてもらいたいのは千里自身の ほうだったかもしれないが。

227 揺れた葉は水面に落ちた
(早 坂千里&宮野梨華&旭川遼哉)
「りょうくん、このまま演じるほうでいればいいのに」
「今回一回限りや言うたやろ。誰に説得せぇ言われてん」
 梨華が困った顔をした。遼哉は元々撮られるほうではなく撮るほうだ。だが今回元々予定されていたキャストが怪我のために出られなくなり、急遽遼哉に変更 された。
「でも、私もそう思うから…」
「わかっとるわ」
 ふたりの後ろを歩きながら、千里は複雑な思いを抱えていた。
 梨華は自分がそうした方がいいと思わなければ誰かに勧めるように頼まれても人に勧めるようなことはしない。また、本人が望まないと知っていたら、どんな にそうすればいいと思っていても自分から勧めるようなこともしない。だから今回は誰かにそうしてくれと言われて自分もそれがいいだろうと判断した、という ことだ。遼哉はそれをすべてわかっていた。
「まぁ、考えるだけは考えたるけど、えぇ答えは期待すんなや」
「うん、ありがとう」
 遼哉がそういうのは、梨華がどんなに頑張ってわざわざそれを言葉にしたのかわかっているからだ。
 そして千里は急に何かと今見ている光景が重なることに気がついた。偶然か、必然か―――ふたりの、立ち位置に。
『結局遼兄も遼兄やな』
『何が』
『なんや千里、気付かへんの? 遼兄、美並ちゃんと歩くときだけいっつも自分が車道側やねん。ほら』
 勝ち誇った浩孝の顔、前を歩く楽しそうなふたりの残像。
「りょうっ」
「なんやねん」
 怪訝そうに振り返った遼哉の眉間にさらにしわがよった。
「どないしてん」
 何で隣歩いとんのが梨華さんやのに自分が車道側歩いてん!―――と、叫ぼうとしたところで梨華の顔が目の端に映った。言葉は出なくなる。
「何かお前、今日おかしいで」
「―――なんでも、あらへんわ」
 千里がふたりを追い越した。きっと偶然だ。だけど、見ていられない。
「お前! なんかあるんやったら言えや! 浩孝の事も、何も、お前は言わへん。せやから俺かて何も言わへんけどな、俺も美並も心配してんのやぞ! 俺らだ けやない、梨華かてそうや。お前が何も話さんかったら、俺も梨華も何も言われへん。傍に居るんに、それがどんなにしんどいんか、お前にわかるんか?!」
「りょうくん!」
 千里の服の胸元を掴んで声を荒げる遼哉を、梨華が慌てて止めた。
「千里ちゃ……、も、りょうくんっ! 千里ちゃんだってきっと、いろいろ、あるのよ、だから、ね…?」
 だから落ち着いて。彼女を責めないで。なだめる梨華の声に千里は泣きたくなった。
「うち、帰ります」
「千里ちゃん……」
「ほっといてくださいっ」
 千里が踵を返して走り出す。反射的に追いかけようとした梨華を遼哉が止めた。
「あれ以上、言わせんといてやってくれ」
 搾り出すように、苦しそうに遼哉が言った。きっと彼もたくさんのものを抱え込んで、外に出さないように苦しんでいるのだろう。
「お前に、ひどい事言いたないんや」
「りょうくん……」
 遼哉が嘆息してくしゃっと前髪に手をやった。
「あかんわ。こんなん言うつもりなかってんに。悪いな、巻き込んで」
「巻き込まれたなんて思ってないわ。でも、私……何かしたかしら」
 遼哉が千里の走っていった先を見つめた。
「お前のせいちゃうやろ」
 梨華がちらりと遼哉を見上げた。
「大丈夫?」
「何がや?」
 決して視線を合わせようとしないのは、その想いを汲み取られてしまうかもしれないからだ。
「いつもと様子が違うから。千里ちゃんも、りょう君も……」
「よう、耐えたほうやと思うわ。けどほんま、千里も浩孝も何考えとんのかわからんわ」
 梨華は何も答えなかった。浩孝って誰と、問う事は出来たし千里の事情だって尋ねる事は出来るけれど、それはやはり本人から聞くべきことだと思うから。
「大丈夫よ、きっと」
「……せやな」
 木枯らしに木々がざわめく。ほとんど葉の落ちた落葉広葉樹からまた一枚、くすんだ色の葉が水をたっぷりためたオブジェに吸い込まれた。誰にも、気付かれ ずに。

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