I want to believe you

243 思い出せばいい
「りっかさーんっ!」
「あぁっひろ!」
 それはさながら主人に飛びつく大型犬のよう。
「きゃぁっ?」
「ちょっ」
 思わず拍手したくなるような速さで梨華の元へと走り、抱きついた浩孝。それに反応しきれなかった梨華はよろめいてしまい、傍にいたみどりにぶつかってし まった。
「もう! 何しとんねん、大学生になったんやからもうちいと落ち着き!」
 浩孝を引き剥がし説教を始める千里。そんな光景にはすっかり慣れっこになってしまった。飛びつかれた梨華ももうすっかり落ち着いてくすくすと笑って二人 の様子を温かく見守っている。
 千里は失念していた。浩孝が入学してくれば、自分や遼哉のいる映画研究会に顔を出さないはずはない。まして、部室以外でも遼哉と梨華は親しくしているわ けで、千里自身も会えば気安く声をかける。浩孝が梨華に会わないでいることなど、不可能。
 千里には梨華を浩孝に紹介するつもりは一切なかった。写真で見た彼女ですら可愛いと連呼していた浩孝だ。知り合ったらこうなることはしっかりと経験上、 わかっていた。
「ごめんな? 梨華さん?」
「いいえ、大丈夫よ?」
 梨華がやわらかい笑みを浮かべる。
「あぁもう! そんな甘い顔したらあきません! つけあがるだけですから!」
 千里は浩孝を押しのけて梨華の手を取った。
「あぁっ千里、ずるいわ!」
「うっさい、黙れこの変態!」
 梨華とみどりを放り出し、ふたりの口喧嘩が始まる。梨華もそれを笑って見ているのだから、手に負えない。
「ちょっと、あんたたち、目立ってるわよ」
 みどりがため息と共に吐き出した。
「そうや、気ぃ付けぇや」
 聞きなれた声がして、梨華は首を傾げて振り返った。
「りょうくん」
「あ」
 梨華の声とみどりの声が重なる。
「みどり?」
「……なんでもない」
 口ではそう言ったものの、みどりは思う。そう、彼だ。たまに見かけるけれどほとんど話のしたことのない、彼。旭川遼哉。確か彼の恋人は大阪にいたのでは なかったか。
「お前ら、探さんでもすぐわかるわ」
 遼哉は深々とため息をつく。
「あたしのせいやない! こいつが……!」
「えぇっ、うるさく言ってくるん千里やんかぁっ」
 どっちもどっちだと遼哉は思ったが、言えば面倒なことになることは身にしみてわかっていたのでため息をつくに留めた。
「あ、せや、梨華」
 ふたりは放っておこうと遼哉は梨華に向き直った。
「今日部室行くか?」
「あ、うん。多分」
 三回生の遼哉や梨華は、辞めてこそいないものの、活動に参加することは少なくなった。二回生の間はほとんど主役を張っていた梨華も、少々画面にうつる程 度となった。
「ほんなら、これ渡しといてや」
 遼哉が梨華に差し出したのは今度の映画の台本だった。
「え、でも行くかどうかわからないし……」
 千里や、入部した浩孝に頼んだほうが確実なのでは。梨華は瞳でそう訴えた。
「不安やねん。あいつら」
 ため息が少し、痛い。
 ふたりが一緒だといつもこの調子なので、うっかり忘れていましたという可能性がとても高いのだ。それでは困る。
「うん、じゃあ今日行くことにするね?」
「あぁ、頼む」
 そうして遼哉が去っていったにもかかわらず、浩孝と千里はそれにすら気づきはしないのだった。

169 引き金をひいてあげよう
(森川美並)
 美並はそっとため息をついた。
 聞かれたくないのならもっと小さな声で、もしくは本人のいないところで言えばいい。もっとも、この場合は聞かせたいという意図があるからそうしているの であろうけれど。
「ほんま、何様って感じやんな」
 どこに行ってもこうした陰口は無くならないものなのかと再びため息。
「お高くとまって、確かに成績もえぇみたいやけど? 自分と他人は違うて思てんちゃう?」
「あぁいう人こそ社会に出て苦労すんねんで」
 しっかり耳に入っている。かといって、そこで言い返せば面倒なことになるのは必定。その前に言い返すだけの言葉を美並は持っていなかった。
 美並自身にはお高くとまっているだなどといった自覚はないし、そんなつもりもない。だがそれを言ったところで何にもならないことはわかりきっていた。
 前はまだ聞き流すことができたのに、なぜだろう。最近はすごくそれが耳についてしまう。
 確かに美並にはこの専門学校にそれほど仲の良い友人はいない。友人を作るという行為は苦手であるし、話しかけてきてくれたとしてもうまく会話を続けられ ない。
 たったひとり、いやふたりというのかもしれないが、例外は千里。そして浩孝。美並がうまく話せないことをもどかしく思っていることに気づいているのかい ないのかまだまだしゃべり倒す。
 そして同意を求められたり質問されたりしているうちに、すっかりそれに慣れてしまって、自分からも話せるようになっていた。
 けれどそれができるのは、千里や浩孝、遼哉と彼らの友人たちだけであることを知ったのは、専門学校に入ってからだった。
「信用できへんのかな……」
 それはもしかしたら、まったく知らない相手を信用できないということなのではないか。そんなつもりは無いのに。
 けれど、やはり誰かと話すのにはためらいが含まれてしまう。遼哉の友人、たとえば宮野梨華などであったら、普通に話をすることができたのに。
 臆病な自分に、嫌気がさした。
「森川美並さん?」
 突然名前を呼ばれて、美並は肩をすくませた。特に先ほどなどは考え事をしていて周囲をシャットアウトしていたので、驚きも大きい。
「はい」
 けれど己の口から飛び出した返事は少しも動揺していない。それにもなんだかため息をつきたくなってしまった。
「話があんねやけど、時間あらへん?」
 美並は困ってしまった。早く帰って夕食を作らなくてはならないからと断ればいいのに、例によって声は出てこない。
「近くに喫茶店あんねんか? そこで。な?」
 彼は名乗りもしないのにそう言う。人のよさそうな笑みを浮かべて。
「あの、あたし……っ」
「すぐ済むて。聞いて欲しいねん。な、お願い」
 逃げ出してしまいたいのに、足が動かない。男が美並の手を取った。
「やっ」
 美並はすぐさまその手を振り払う。
「あぁ、ごめんごめん。急に触られたらびっくりするよな」
 そういうことではないのに。はっきり言えない自分がもどかしくて浅ましくて泣きそうになる。
「そんな気にしてへんから、泣かんといて? な?」
 あせればあせるほど、声は出てこない。
 男が小さく息を吐いた。このまま自分に嫌気をさして行ってしまえばいいと切に願った。
「ほんなら、日ぃ改めよか? 俺かて、好きな女泣かせたくない……あ」
 美並の方がぴくりと跳ねた。
「あーぁ、俺もあかんなぁ。忘れて……いうたって無理やんな。言い直す。好きやねん。美並さんのこと」
 名前を呼んでいいと許可したわけではないのに、男は勝手に呼ぶ。
「付き合ってや、俺と」
 美並は顔を上げた。大丈夫だ、これは言える。
「好きな人がおるんです」
「知っとるよ、それは。噂やんか、美並さんがそう言って片っ端から男ふっとるって」
 そういうわけではないのに。確かにいくらか告白してきた人はいたけれど。
「なぁ、それほんまなん?」
 美並はくっと唇を噛んだ。どうして疑われなければならない? 確かに事情は知らないだろうけれど、見ず知らずの人に自分の気持ちを疑われる筋合いはな い。否、それを口に出されるなど。
「おらんのやろ、そんな人。それでも好きって言うてくれる人待ってたんやろ」
「違います!」
 半ば叫ぶように美並は言った。誰がなんと言おうと、美並は遼哉が好きだ。不思議なほど、彼が絡むと強くなれる。
「へぇ……ほんまにおるんや。けどそれ、ずっと言うとるやん? それってずっと片思いなわけやん」
 違うと、言えなかった。遼哉は好きと言ってくれるけれど、それをこんな見ず知らずの人に言ってもいいのか? それが彼の本心なのだろうけれど、それで も。
 それに、両想いなのに付き合っていない、その事実を説明してわかってくれる人などきっといない。
「やめぇや、そんな奴。俺が幸せにしたるで?」
 美並は唇を噛んだ。そんなこと絶対にありえない。美並の幸せは、自分の周りにいるみんなが笑っていてくれること。遼哉が笑っていてくれること。他人にし てもらう幸せなどいらないのに。
 なのにどうして、こんなにはっきりと答えはわかっているのに、口に出せない?
「な? つらいんやろ? 我慢すんなや。俺とおるほうがえぇって」
 どうしてこんなにも勘違いばかりされるのだろう。そして自分はどうしてそれを否定できないのだろう。身体が、思うように動かない。
「美並」
「やっ」
 呼び捨てにしていいのは、遼哉と千里と浩孝だけ。もっとも、浩孝に呼び捨てにされたことなどないけれど。
「まぁ、落ち着いて考えてみ?」
 一見優しい言葉であるけれど、それは美並を追い詰める要因にしかならなかった。

115 ガラス玉の中の世界はどこまでも
(森川美並)
「おはよ、美並さん」
 近頃では朝起きるのですらつらい。彼とまた顔をあわせなければならないと思うと泣きそうになってしまう。
 けれど、そんなことで学校を休むことのできる美並ではない。
 美並は会釈して通り過ぎようとした。
「どうしてん、機嫌悪そうやんな。寝不足なん?」
 どうして話しかけてくるのか。どうして付きまとうのか。もう、嫌で嫌で仕方がない。
「なんか悩んどるん? なんやったら、聞いたげるで?」
 あなたが悩みの原因なんですと、言えたらどんなに楽になるだろう。けれど美並は彼であろうがなかろうが、そんなことなど言えやしないのだ。
「もしかして……」
 男、いまだに名乗ってすらいない彼の声が硬くなる。美並はどきりとした。
「あいつらか?」
 だが、続けられたそれは美並の予想もしていなかった言葉だった。
「お前のこと、悪く言うとる奴らやろ? 自分のこと棚に上げてなんやねんっちゅう感じやんな」
 耳を塞ぎたくなるような言葉を連ねていく。やめてほしいと切実に願うも、言葉にできぬそれは伝わることはない。
「大丈夫、俺が守ったる」
 鳥肌が立った。同時に怒りがこみ上げてくる。何も知らない人が、どうしてそんなことが言えるのか。守ってもらうなら、そう……遼哉がいい。
 なんてことを考えたのかと美並は首を振った。少し頬が赤い。切なくて、けれどやわらかい胸の高鳴り。
 それを己に向けられたものだと思ったのだろう。男が照れくさそうに笑った。
「全力で守るよ」
 違う。そんな台詞を言って欲しいのは、この男にではない。遼哉だけなのに。会いたい。せめて声が聞きたい。
「やから、俺と付き合おう。一生愛したる」
 美並はしばらく声も出せなかった。
「な、美並」
「……言うたでしょう、あたしには好きな人がおるって」
 けれど男は動じない。
「けど、叶わん恋なんやろ? やから、俺が忘れさしたるって……」
「違います。彼は、あたしのこと……」
 美並の頬が赤く染まる。
「俺は、お前が心配やねん。俺が守るって言っとるやろ?」
 彼の言うことは全て押し付けだ。美並の意見など聞こうともせずに。
 助けて、千里。
 心の中でそう呟いてハッとする。
 そう、いつまでも千里が傍にいるわけではない。それは去年からずっとそうであったけれど、千里はおらずとも浩孝はいた。
 ふたりならきっと、助けてくれたことだろう。それはきっと自ずからの行動だろうが、それでも美並が彼らを頼っていないことにはならない。己の浅ましさに 胸がえぐられる。
「好きやで」
 美並は答えることもできず走り出した。
 正直なところ、彼の言葉など頭の中にはない。ずっと頼ってばかりだった自分への嫌悪感や呆れが美並を支配していた。
「りょう君……りょう君っ」
 あたしは、どうしたらいいんやろ?
 また頼っていると自覚していながらも、止められない。今すぐ会いたかった。声では足りない。できるならぎゅっと、抱きしめて欲しかった。
 携帯電話を出して、かけ慣れた番号を押す。もどかしいけれど、いつもの癖からはこういった時こそ抜け出せない。いつもはバカみたいだと自分でも思いなが らも、高鳴る鼓動を抑えられず一つ一つ押している数字。
 けれど遼哉の携帯電話は、繋がってしばらくして、機械音のまま切れてしまった。授業が始まっているのかもしれない。わかっているけれど、どうしてこんな にもつらいのだろう。
 だがそこで初めて、美並は自分が一時間目を休んでしまったことに気づいたのだった。
 さまざまな絶望から座り込んでしまった美並だが、あの男が追ってくるかもしれない、そう思って立ち上がり、けれど行く宛をなくしてしまっていた。
 授業は始まっている。遅刻して入ることもできるが、頭の中がぐちゃぐちゃできっと何一つ頭に入ってはこないだろう。それでも、病気でもないのに休むなど 美並にはできなくて、ふらふらと教室に向かった。
「森川さん?」
 教員の一人と出くわしたのは偶然だった。
「授業始まっとる……嫌やわ、顔が真っ青やで!」
「……大丈夫です」
「大丈夫やありません。あなた……ひどい顔しとる」
 教員はすぐさま家に帰るように美並に命じた。それが美並にここにいてはいけないのだと告げているようで、どうしようもなく悲しい。
「自己管理は基本中の基本ですよ。今日は帰って休みなさい」
 けれど、そんなことなど教員はわかってくれなかった。
 美並は仕方なく会釈をして学校を出た。
 どうしてこんなに、何もかもがうまくいかないのだろう。世界はとても冷たくて、けれどそこに閉じ込められた美並はそれに抗う術すら、知らない。

076 ホントはそんなこと思ってもないくせに
(旭川遼哉×森川美並)
 携帯電話の着信音が鳴った。
「りょう君……」
 メールではなく、電話で。ちゃんと返してくれた。美並はゆっくりと通話ボタンを押した。
「美並?」
 すぐに聞こえてくる、愛しい人の声。荒れていた心が少しずつ収まっていくような気がした。
「会いたい……」
 向こうで遼哉が息を呑んだのがわかった。そういえば、こんなことを言ったのは初めてだ。言われたこともないけれど、一ヶ月に一度ずつ、ふたりが東京と大 阪の間を行き来するので、二度は会える。それで十分だった。
「何かあったんか」
 少し怒っているような声。けれど、それは心配してくれているからだ。
 だが、口に出そうとした美並は、急に恐れに襲われて声が出なくなってしまった。
「今週末は補講が入っとんねん。来週まで、待てるか」
 遼哉は無理に聞こうとはしない。けれど、来週といったら、あと十日ほどはある。それまで、耐えられるだろうか。
「……うん」
 けれど、遼哉を困らせることはできなくて、それも授業があるなら休んでほしいなどとはとても言えない。言われたら困るのは自分も同じだ。
「美並……」
「大丈夫やで。……待っとる」
「……おう」
 胸はどうしようもなく痛くて、けれどそれを悟られたくなくて、授業があると嘘をついて電話を切った。
 本当は今すぐ、会いたいのに。また一週間以上も彼と顔を合わせなくてはならないなど、とても耐えられない。けれど美並の性格上、我侭などとても言えな かった。
 千里か浩孝にメールでも送ろうかと思ったが、脳は動いていても身体は動かない。携帯電話を握り締めたまま美並は壁に背を預けて座っていた。

「千里、浩孝」
「あれ、遼兄?」
 映画研究会の部室で顔を出したのは浩孝だけだった。
「千里は」
「あれ、遼兄知らんの? 千里風邪で休みやで」
 道理で今朝、隣から物音が聞こえなかったはずだ。
「お前、今週末暇か?」
「土日?」
 浩孝はしばらく考えた。何か用事が入っていたような、いなかったような。たっぷりと時間が経ってから、浩孝はそれを思い出した。
「あぁっ! バイトや!」
 遼哉は思い切りため息をついた。それくらい覚えていて欲しい。はじめてもう一ヶ月以上が経っているはずなのだが。
「わかった」
 風邪を引いているというのなら、治っていたとしても千里を大阪へ帰らせるのはつらいだろう。
 自分がいけないのならせめて浩孝か千里をと思っていたのだが、仕方がない。
「どうしてん、何かあったん?」
「いや。えぇ」
 浩孝がムッと唇を尖らせた。
「もう! 遼兄、いっつも俺らには何も言うてくれへんよな!」
 遼哉は目を見張った。そんなつもりは少しもなかったのだが。
「そんなに俺ら信用できひん?」
「ちゃう。言うてもどうにもならへんからや」
 けれど遼哉は美並のことを浩孝に話して聞かせた。
「俺、バイト休もかな」
「あほ。余計気ぃ使うやろ」
 美並はそういった性格の女なのだから。
「……うん」
「大丈夫や、あいつはそこまで弱くない」
 自分でそういいながら、それが本当は真実とは少しずれていることを遼哉はわかっていた。

310 溺れた金魚
(旭川遼哉×森川美並)
 バスの中から見た美並の横顔がなんだか深刻なように見えて、遼哉は無理をしてでも美並の元へ帰ってこなかったことを悔 やんだ。
「……、おかえりなさい」
 微笑むそれすらどこか痛々しくて、思わず遼哉は顔をしかめた。
「りょう君?」
 遼哉は何も言わずに美並の手を取った。びくりと美並が手を引こうとした。驚いて手を放そうとすると、すがり付いてくる指。
「りょう君……」
「何があったんや」
 美並はただ、首を横に振った。
 遼哉は心の中でため息をついた。そう、森川美並はそういう女だ。自分に何かあっても、誰かに心配をかけてしまうことを恐れて何も言わない。
「行こか」
 強い力で手を引かれ、美並は驚いたが、今はただ遼哉についていくことにした。ほんのまれにしか繋がない手。けれど、そのぬくもりはちゃんと覚えている。 そのことに美並はほっとしていた。
「家か、どっか喫茶店か。どっちがえぇ?」
「えっ?」
 先を歩く遼哉の問いかけに、意図がつかめなかった美並は聞き返す。
「どっちが、落ち着くんや」
 少し速い遼哉の歩く速さが、なんだかとても落ち着くのは何故だろう。
「りょう君、どっちが……」
「お前に意見きいとるんや」
 美並の言葉は一刀両断される。それだけのことが、美並の心には重くのしかかった。遼哉は何も悪くない。そうわかっているからこそ、美並の心はますます重 くなる。
「美並?」
 指先からそれが伝わったのかと、ありえないとわかっていながら思ってしまった美並は身震いする。こんな、浅ましい自分は知られたくない。遼哉には特に。 決して。
「美並」
 遼哉の足が止まった。
「りょう君……」
 呆れられたのではないかと恐怖に襲われる。振り向いた遼哉を、美並はただ見上げることしか出来なかった。
 そのすがり付いてくるような瞳に、遼哉は驚いた。
「大丈夫か?」
「え……?」
 けれど返ってきたのは己を心配する言葉で、美並は軽い混乱に陥れられた。
「どっか悪いんちゃうか?」
「っ?」
 声が詰まってしまって、何も音にならない。
 遼哉は今何を思って、どんな風に自分を見ているのか、美並ははっきり知りたいと思った。訊く勇気すらありはしないというのに。
「美並?」
 声が出ない。声にすることが恐ろしい。
 どうしてこんなにも遼哉のことが怖いのだろう。怖いことなんてひとつも無いはずなのに。そうはっきりとわかっているのに。
 このままではまた心配をかける、そう思っても身体は動いてくれない。あせるばかりで何も出来ない。
「大丈夫か?」
 泣きそうになってしまうのは、彼の優しさを感じるからか、それとも己のふがいなさを身にしみて感じてしまっているからなのか。
「美並」
 今すぐに逃げ出したい。そう思った自分自身に、美並は眩暈を感じた。もう何も、考えられない。
「大丈夫や」
 遼哉の声に我に返る。少し痛いくらいに握られた手。
「美並の家、行こか」
 ゆっくりゆっくり歩き始めた遼哉に美並もついて行く。指から、てのひらから、伝わるぬくもりが心を和ませる。
 けれど美並は、頼ってばかりの自分に嫌気をさしていた。

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