Not End

035 空結い
(早坂千里&宮野梨華&仲谷勇太&大友和 真)
 両親への報告のために大阪へと帰る浩孝を見送り、千里はすぐさま勇太へと電話をかけた。
「話したいこと、あるんです」
 電話の向こうで勇太は笑っていた。
「今、グリーンアイズで梨華ちゃんとか和真とかとだべってるんだけどそれでもよければ今から来る?」
「あ、梨華先輩おるんですか? ならちょうどえぇです。行きます、今から」
 そう、報告しなければならない。勇太と梨華には。心配をたくさんかけてしまったのだから。
 いつものカフェへと向かいながら、千里はどうやって報告すればいいのか悩んでいた。そうしているうちに見慣れた店が見えてきて、どうにでもなれと千里は ドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
「あ、どうも」
 聡志に会釈すると、彼はにっこり笑ってみんなはあそこと言って指差した。ボックス席には休憩中なのだろうか、店の制服を着たままの達哉も座っていた。
「なんか、えらい人多いな……」
 タイミングが良いのか悪いのか。だが目が合った梨華が微笑んできたので今更帰るわけにもいかない。諦め気分の千里はそちらへと向かった。
「いらっしゃいませ」
 達哉が悪戯っぽく笑って言った。
「こんにちは」
 スッと立ち上がった達哉は千里に席を薦めた。確かにこのボックス席は四人がけで、四人のうち三人が男なら詰めてももうひとりが座れる余裕はない。だが、 後から来たのは千里の方だ。
「でも」
 さすがに申し訳なくてそう言うと、達哉は綺麗に笑った。
「休憩終わり。だから、ね?」
 不自然を感じさせない物言いで、達哉は千里に席を譲った。そうしてカウンターへと戻っていく。
 千里の隣に座る梨華が紅茶を一口飲んだ。彼女の前に座る和真がそれを愛しそうに見ている。その視線が、なんだか浩孝が自分へと向けるそれのようで、千里 は慌てて首を振ってその考えを追い出した。
 達哉が戻ってきて注文を聞きにきたので、千里はオリジナルブレンドを頼む。店内には緩やかにジャズが流れているが、梨華達の間には会話はなく静かで、千 里はさてどう切り出したものかと途方に暮れた。
「あ、そうだ。千里ちゃん話したいことがあるんじゃなかったっけ? カウンターに移る?」
 まさに助け舟。更に梨華や和真がいては話しにくいのではないかと思ったのだろう、そんな気遣いまで。
「いえ。梨華先輩にも聞いてほしいので」
「あ、じゃあ俺が移ろうか?」
 そう言ったのは和真で、腰を浮かそうとする彼に慌てて手を振る。
「そんなに聞かれて困る話じゃあらへんから」
「そう?」
 千里はうなずく。そして視線を宙に漂わせ、決心する。
「えぇと。うちの幼馴染みが、うちの大学受かりました」
「わ、え、そうなんだ」
「あぁ、前に言ってた人ね? おめでとうございますと伝えておいて?」
 勇太と梨華がそれぞれにそれぞれらしい返事を返し、和真も俺からもと付け足した。
「あ、はい。言うときます。それでですね。えと、なんて言うたらええんやろ、そいつが……あ、浩孝ていうんでうちはひろって呼んでるんですけど、とにかく そのひろがうちと一緒に去年うちの大学受けて落ちてたんです」
 そこにちょうど達哉がコーヒーを持ってきた。千里は軽く会釈をして先を続ける。
「で、ひろが浪人するって決めて、うちもなんかしたいって思いました。そしたら美並が、願掛けしたらどうかって。一番大切なもの我慢したら願い事は叶うん やって言うたんです」
「素敵」
 梨華がにっこりと微笑んだ。
「で、何を我慢したの?」
「こら、和真。人の話邪魔すんなって」
 勇太の言葉に和真がむっと唇を尖らせる。じゃれあっているようにすら見える和真と勇太を見て、梨華がくすくすと笑う。だが千里は何となく先を話し辛く なってしまった。
「千里ちゃん?」
 梨華が首をかしげる。
「や……まぁその、うちには、ひろが一番……大切やったんです」
 何度か瞬きを繰り返した梨華が、その意味を理解してまぁっと頬を染めた。千里の顔も心なしか赤い。勇太と和真は居たたまれない思いに駆られながら黙って いた。さすがに冷やかすほど子供ではない。かといって例えば達哉のように笑って受け入れられるほど大人でもない。
「で、まぁいろいろあったわけですわ。……ご存知のとおり」
 勇太が苦笑する。大して梨華は不思議そうにしている。声にするなら何か知っているかしら、といったところだろうか。
「ほんま、いろいろ迷惑とかかけたと思てます。ごめんなさい」
「こらこら。そんな風に思ったことなんてないぞ」
 梨華はただ微笑んでいるだけ。もしかしたら先の千里の言葉が自分にも向けられたものなのだとわかっていないのかもしれない。
「梨華先輩?」
「なぁに?」
 まるで聖母のように微笑むひとつ上の先輩。この人にはどれだけ助けられたことか。
「空の話、覚えてます?」
「空?」
 梨華が首をかしげる。
「ええ、うちが空がほしいって言うてた話」
「あった……かしら?」
 千里は小さく笑った。その答えがあまりにも梨華らしくて。
「覚えてへんでもえぇんです。ただ、うちはもう空には憧れんでもえぇんかなって」
 言ってしまえば、千里自身が言いたかっただけだ。だが梨華は笑って聞いてくれる。それが嬉しかった。
「あら? そういえば……」
 梨華の首がゆっくりと傾げられる。和真がテーブルにうつ伏せてかわいい……とつぶやいた。千里も思わずうなずく。
「千里ちゃん、その人のこと好きな人って言ってなかったかしら?」
 だが、梨華のその言葉にぎょっとして固まった。そういえばそう説明した気がしなくもない。
「あのさぁ、梨華ぁ?」
 和真がうつ伏せた姿勢のまま梨華を見上げる。
「なぁに、かず君」
「何でそういうの、今更思い出すわけ? しかも突拍子もなく。全然今までの話に関係なかったよね……?」
 再び千里が思わずうなずいた。更には勇太まで。
「えぇとね。思い出してたのよ、記憶を。そうしたら、あぁあんなことがあったなぁって」
「……了解、わかった大丈夫」
 そう言った和真の頭がテーブルの上に戻る。梨華が不思議そうに首をかしげた。
「……あの、それで。それでまぁ、そいつと。付き合うことになりました」
 和真がばっと身を起こした。それに千里は驚く。
「千里ちゃん彼氏出来たの?」
 和真の問いに、千里は俯いて頬を染めた。けれどもう、それで充分だ。
「よかったわね。ずうっと思ってた人なんでしょう?」
「えぇ……まぁ」
 思い出せば、梨華にはそこまで話していたかもしれない。
「わ、おめでとう」
 和真の笑顔に千里も破顔する。
「ありがとう」
「え、俺ちょっと複雑なんだけど」
 勇太が言ったとおりの複雑そうな表情で千里を見た。
「何、お前美緒いんのに千里ちゃん狙ってたの? 達哉ぁ!」
「ストップストップ! 何でお前はそう話をややこしくすんだよ!」
 すぐさま反応を返した和真に勇太は慌てた。ここで本当に達哉がやってくると面倒なことになりかねない。否、確実にそうなるだろう。
「わざとだよ!」
「わざとか! ってなんだとぉ?」
 テンポのよい掛け合い。千里は爆笑したいのを抑えて、けれどお腹が痛いのを自覚していた。梨華もくすくすと楽しそうに笑っている。
「で、何で複雑なわけ?」
「そこで話を真面目に戻すなよ……」
 勇太ががくりとうなだれる。肩透かしを食らった気分だ。実際にそうなのかもしれないが。
「んーまぁあれだ。妹を取られた気分?」
「……千里ちゃん、真面目にこいつに近づかない方が良いよ」
 至極真面目な顔で和真が千里に向き直った。
「こら!」
 勇太は笑って和真を咎めると、千里を見た。
「でも応援するよ。がんばれ」
「あ、はい」
 そう言ってくれると思っていた。勇太の言葉に、千里はとても満足していた。
「でも私、勇太さんみたいなお兄さんほしいわ」
「梨華ぁ! もういいよーっ」
 和真が情けない顔で笑う。千里は、あぁ幸せだと思った。

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