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月陽が近づいてくる。 姫は、俯いた。 自 由の鳥 君の翼 拾 不意に月陽が立ち止まった。 「どうしたい、と問おうと思ったが」 姫は月陽の視線を感じながら尚、顔をあげることができなかった。 「必要はないようだ」 月陽はゆっくりと姫の隣に腰かけた。 そのまま、しばし無言の時が流れる。誰も、動けないでいた。 「さて。俺は行くとしようか」 月陽はちらりと月陰を見た。かすかに月陰がうなずく。ふたりはこれから、両親のもとへ向かうのだろう。 姫も、行かねばなるまい。 そう、もし、後継ぎを月陽にと望む声が多ければ、姫は月陽を選ばねばならぬ。たとえ彼をこの先ずっと月陰と偽り続けねばならぬとしても。 立ち上がった姫を、けれど止めたのは、月陰だった。 「お前はいい」 姫は眉をひそめた。やはり、信用されていないということか。 月陽がくすりと笑った。 「お前はもう少し、そう考える理由を話すようにしないといけないな」 よく似た半身の肩を、月陽は叩いた。月陰は何も答えない。けれどそれがなぜか、とても温かいものに見えて、姫は思わず笑みをこぼしていた。 できるならもう少し、このような時間を過ごしていたかった。だが、決着をつけるときは、もう間近に迫っている。 姫はわかっていた。きちんと断りを入れて出ていく以上、月陽はもうこの家には戻ってこられまい。二人のうちの一人は死んでいるとされている以上、この家 のものとしてどこかへ奉公にあがることもできはしない。 本来ならば、今頃どちらかは分家を任されていたのかもしれない。けれど、そのような未来はもう、どこにも残ってはいないのだ。 月陰が姫を見た。じっと、曇りのないまっすぐな瞳で。 「お前は、お前の好きなようにすればよい」 姫は囚われたかのように動けなくなってしまった。月陰と月陽がその場から去ってしまっても、そのまま座り込んでいた。 好きなように。その言葉のさす意味は、いったい何であるのだろう。どうして彼はそんなことを言うのだろう。 姫はやはり、妻として認められぬということか。月陰は何を思っているのだろう。姫には少しも理解することができない。それが、苦しい。 幾度目かの溜息。なぜこれほどに苦しいのか。 彼はおそらく優しい人だ。けれど、何を考えているのか、姫に教えてくれることはない。その冷たい容貌の下に、彼は何を秘めているのだろう。もし、もしもそ れを見せてくれたなら、姫はきっと迷うことはなかったのだろうと思う。月陽に見える心遣いが、ほんの少しでも感じられたなら、姫は己を彼にゆだねることが できるのに。 それに、姫には気にかかっている言葉があった。 ずっと、想っている女がいる。 彼は姫がこの家に嫁いできた初日に、姫にそう言った。想っている人がいるから、姫は必要ないのだろうか。もしかしたら姫がいないほうが都合がいいのかも しれない。 ならば、これを機会に出て行ったほうがいいのかもしれない。 好きなように、とは。姫は己がどのようにしたいのかよくわからなかった。 「あやつは心根の優しい男だ」 はっと顔をあげる。月陽だ。話は終わったのだろうか。 「もう俺がここにくることはない。お前の心をもう、かき乱してはならないから」 苦しそうに笑う彼。踵を返したその背に、姫は叫んでいた。 「お待ちくださりませ！」 「なんだ」 月陽は姫に背を向けたまま答えた。だが、姫は自分がどうして彼を呼びとめたのかもわからないでいた。 「わたくしは……」 「月陰が嫌いか？」 姫の言葉は、月陰のそれにさえぎられていた。 「いいえ！」 そう、嫌いではない。今ではむしろ、愛しいと。けれど。 「わたくしは、どうすればよいのかわからぬのです……」 「それは、月陰に聞け」 月陽は今度こそ歩き出す。姫ももう、引き留めることはできなかった。引き止めてもどうしようもないことを分かっていたからだ。 「……姫」 背後から月陰の声がした。ぴくりと姫の肩が跳ね上がる。 聞かれていただろうか。これから、どうすればいい。思わず涙ぐみそうになってしまって、それをこらえるのにすら必死だ。 「行かなくていいのか」 「……お聞きしたいことがございます」 姫は勢いのままに振り向いた。 「あなたは、わたくしにどうしてほしいのです？ わたくしが少しでも必要だと思ってくださっておりますか？ わたくしはここにいても、よいのです か……！」 だめだと思った時にはもう遅く。涙は姫の頬を伝っていた。 月陰がゆっくりと姫の前に歩み寄ってきた。そっと延ばされた手が、姫の涙をぬぐう。 「私は、あの日、幼少の折にお前を見てからずっと……そなただけを想ってきた」 心が震える。涙があふれて止まらない。 その言葉を、待っていたのだ。その一言だけが、ほしかった。それだけだった。はじめから、ずっと。 月陰が困った顔をしているのを承知で、姫は何も言わず、ただ目を閉じた。また涙が一筋落ちたが、もう気にすることもない。 「わたくしも……ずっと、お慕いしておりました……」 やはり彼は優しい人。 触れあった唇を感じながら、姫はそう思っていた。 |