サファイアの空は誰が為に

春の風が髪を抜けて麗らかな日に



(眠…)
 アッサム国王都ハルデンディアのユーロスト宮殿中庭。
 アリーシアは桃色のドレスの上に本を載せ、そっとあくびをした。輿入れの際に故郷ダージリンからついてきた侍女のヒナなどがいれば、もちろんこんなことはしない。うるさいからだ。しかし今はヒナも友人のミオのところに出かけているため、近くには誰もいない。
 どうせすぐに戻ってくるのだろうし。緊張感も何もないが、ここで眠ってしまおうか―――薄れていく意識の中でそう思ったとき。
「風邪をひくぞ」
 ぎょっとして目を開ける。気配に、気がつかなかった。これでも、王族という立場上、人の気配とかいうものには敏感だ。いや、兄のせいかもしれないが。だが、ひとりだけ…アリーシアの領域に土足で踏み込んでこられる人物がいる。ひとりだけ。
「アスト…」
 見下ろしてくるアストリスの姿を認め、ほっと息をつく。
「ひとりか」
「まぁな。ヒナはミオのところだ」
「隣に座ってもいいか」
 自分から聞いておいたくせに、まったくお構い無しに唐突な言葉を投げつけてくるアストリスにアリーシアは一瞬呆れたが、いつもの事と思って好きにしろといった。
「ドレスが汚れるなどと気にならないのか?」
 ふたりは大きな木に背を預けて座っている。
「その言葉、そっくりそのままあんたに返す」
 アストリスはしばらく考えたが、納得したのかそうだなと返してきた。アストリスとて王子なのだ。
「眠いのか」
「あんたが起こしたから起きた」
 少しすねたように言ってやると、アストリスはふっと笑った。
「それは悪かったな」
「まったくだ」
 アストリスが笑みを深くする。
「アリーシア」
 愛称でなくその名を呼ばれた事にどきりとする。
 アストリスがアリーシアの頬に手を添えた。あ…と声を漏らす暇もなく、アリーシアの唇はアストリスのそれに奪われていた。
「…ばか」
「すまない」
 全く悪びれない顔でアストリスは笑う。仕方ないなとアリーシアもつられて笑った。

「まったく。ラブラブですねぇ。私は邪魔ですか」
 楽しそうに―――この上なく楽しそうに、影から見ていたヒナはつぶやいた。

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