Two hearts

270 不確かな情愛よ
(岩山克己×浅井秋子)
 突然みどりの元にかかってきた秋子からの電話。
 秋子は言った。終わらせたい、だから克己に会いたいのだと。けれど、ひとりで行くには辛すぎるから、できればみどりについてきてほしい。
 みどりはそれを承諾した。
 こうして今、ふたりは広島にいる。
「じゃあ、メール送るけん」
 ふたりが来ることを、克己は知らない。先に知らせてしまえば、その反応に動揺してしまうだろうし、来るなと言われるのが怖かった。
 克己は来てしまえは会えないとは言わないだろう。わざわざやってきたふたりを無碍にすることなどできるような人間ではない。
 秋子は今広島にいる、だから会いたいという旨を伝えた。
 ホテルの一室で、心なしか震えて返事を待つ秋子の隣に座って、みどりは考えていた。
 一体何があったのか。長瀬みどりの知る岩山克己とは、浮気をするような人物ではない。他の人を好きになったのなら、ちゃんとそれを説明するだろう。
 それとも、みどりの知る克己の人となりは、ほんの一部でしかなかったのだろうか。それは確かに間違っていないであろうけれど。
 部屋に響く受信音に、秋子の肩が跳ねた。
「……会えるって」
 秋子は、ただそれだけを言った。みどりは己の肩口に顔をうずめてくる秋子を、静かに受け止めていた。

「……久しぶり」
 克己は笑って良いのか悪いのか、わからないといった笑みを浮かべている。秋子がゆっくりと顔を上げた。克己を正面から見つめる。
 三人が会ったのは、小さな公園だった。遊んでいる子供たちの元気な声がどこか遠いもののように感じる。
「元気にしとった?」
「おう。そっちは?」
 秋子はうなずいて少しだけ笑った。
「みどりさんも。久しぶりやな。二年……三年ぶりか?」
「二年よ。久しぶりね」
 変わったわね、あなた。
 そんな言葉をみどりは飲み込んだ。高校生時代のような覇気が見られない。けれど、今日はそんなことを言いに来たのではない。あくまで秋子の付き添いなの だ。
 しばらく沈黙が続く。
「克己……」
 意を決した秋子の硬い声。克己は返事しなかった。
「こっちに、付き合っとる人、おるんやろ」
 かわいそうなくらいに震えた声。克己がゆっくりと息を吐き出した。それがとても癇に障ったのだが、みどりは抑えた。
「おらん」
 その言葉に、秋子がキッと克己を睨んだ。
「嘘つかんといて! わかっとるんやけん!」
「おらん。本当におらん」
 その瞳の真剣さに、秋子は返す言葉もなかった。
「……ごめん、秋子」
 秋子が身をすくませた。思わずみどりは秋子の手を取った。安心させるように。ひとりではないのだと、思わせるために。
「本当はわかっとった。こんな日が来るって。でも……いつもと同じになんか、できんかった」
 みどりが立ち上がった。
「ふたりで話し。近くにはおるけん」
 そもそも、自分が聞いていい話ではないはずだ。後で報告されるならともかくとして。
「みどり……」
 秋子はみどりの手を放そうとしない。秋子が怖がりで臆病なことはよく知っていたが、みどりもどこでもいつでも彼女の隣にいられるわけではない。これは、 秋子自身が超えていかなければならないことだ。
「ちゃんと……話、しぃよ?」
 秋子の手がゆっくりとみどりから離れていく。完全に離れたのを確認してから、みどりはそこを去った。
「話すけん。全部」
 その言葉に、秋子は唾液を飲み下した。

113 ねぇ、やさしい恋人よ
(岩山克己×浅井秋子)
「友達の妹にな、身体の弱い子がおるんや」
 克己はゆっくりと話し始めた。
 克己の大学で出会った友人に、杉本良明という青年がいる。実家暮らしの良明は、もっぱら下宿している克己のアパートに遊びに来ていたが、克己も時々は杉 本家に遊びに行った。その時に出会ったのが、彼の妹である和奈だ。
 和奈は高校三年生だが、身体が弱く何度か入院を繰り返しながらも何とか学校に通っている状態だった。どこか危なげで頼りない和奈を、克己は放っておくこ とはできなかった。
「けど、俺にはわからんのや。俺がその子のこと好きなんかどうか」
 その言葉に血が上り、怒鳴りつけてやろうと克己を見た秋子は一瞬にして言葉を失った。それほどに克己の表情は思いつめていた。中途半端に残った怒りだけ が、消化されずに胸の奥に残っていて気持ちが悪い。
「秋子のことは好きや。けど、俺はどうしてもあの子を放っとけん」
 自分に何ができるのかわからない。もしかしたらできることなどひとつとしてありはしないのかもしれない。けれど、それでも。
「やけん……申し訳なかったんや、お前に」
 和奈に恋をしたとはっきり言えるなら、すぐにでも、秋子のためにも彼女と別れただろう。けれど、克己の秋子を想う気持ちには、少しの変化もなかった。
 秋子を想うように和奈を想っているわけではない、それも確かなことだった。けれどその想いは、とても恋に似ている。
「やけん、メールの返事、くれんかったん?」
「……あぁ」
 振り回している自覚はあった。けれど止められない。
 秋子を手放したくなかったけれど、好きな人ができたかもしれない、そんな状況で平然といつものように秋子と連絡を取ることなど、克己にはできなかった。
「……どうしたいんよ、克己は」
 克己が押し黙った。秋子も黙って克己の言葉を待った。
「時間が欲しい」
 しばらくの沈黙の後、克己はぽつりと言った。
「……わかった」
 秋子の返事に、克己は目を見開いた。自分でもわかっているほどにわかりやすい我侭だった。なのに。
「えぇんか?」
 秋子はゆっくりうなずいた。
「その代わり、隠し事はせんといて」
 克己がゆっくりと秋子の名前を呼んだ。視線が絡む。キスしたいと思ったが、そんな資格はないのだと思ってその欲望を押さえつける。
「約束して?」
「わかった」
 互いの視線の熱さから逃れられない。秋子の手が、克己の手に触れた。
「あき……」
 少しだけ、ほんの少しだけ秋子の唇が震えた。彼女の頬に手を添えて、ゆっくりと顔を近づけても、秋子は逃げない。克己はそっとその唇にキスを落とした。
 指と指を絡め、ふたりはしばらく無言でベンチに座っていた。そうしていれば、互いの感傷が伝わってくるとでもいうかのように。

082 恋愛なんてギャンブルみたいなもの
(浅井秋子&長瀬みどり)
「はぁ?」
 怪訝そうな表情を隠そうともせず、みどりは聞き返した。それがあまりにも彼女らしくて、秋子は笑ってしまった。
「別れるのを、やめる?」
「うん。時間が欲しいって言われたけん」
 みどりは何かを言おうとして口を開いたものの、声は出てこなかった。おそらく言いたいことはたくさんあって、けれど何も言わないことに決めた のだろう。
 秋子にはそれがとても心地よい。慣れているからなのかもしれない。一緒にいすぎて、心地よいの基準がみどりになっているのかもしれない。けれど、どちら にしろ結果は変わらないのだから、どちらでもよかった。
「あんたが決めたんなら、いいけど」
 みどりは何も聞かない。けれど何かを言ったなら、どんなにつまらないことでもしっかり聞いてくれるとわかっている。
 秋子は杉本和奈のことを言いたくなかった。克己の秘密ともいえるそれを、自分だけのものにしておきたかった。それが二人の絆であるようにも思われたから だ。
「心配かけて、ごめんな?」
 どんな結果が待っているのか、今はまだ想像の域を超えないけれど。
 けれどそれは、どんな恋でも同じ。ただ秋子の場合は、どちらに転ぶかすこし明確に見えているだけのこと。秋子はまだこの恋を終わらせたくはないから、自 分に可能性が残っているのならそれに賭ける。
「いつか、ちゃんと話すけんね」
 そのときは聞いて欲しい。望まなくとも、それは確実に返ってくることだけれど。
 みどりは笑って肩をすくめた。
「期待せずに待っとるわ」
「はいはい。時々忘れとるけんね。事実ですよーだ」
 みどりは笑う。秋子も笑う。少しだけ切ない気持ちがまだ残っていたけれど。これからもしばらくはそれに苦しめられるのだろうけれど。出来るところまで やってみよう。
「あーあ、もう。遠距離って大変やぁ」
「近いもんやない」
 愛媛と広島では、海を隔てた隣。ふともっと遠距離の人がいたような気がして、みどりは己の記憶を探る。それはあまりにおぼろげで出てこなかったけれど。
「それで、どうするん、これから」
 みどりは問う。土曜日は、まだ少し残っている。日曜日はすっかり全部。といっても、午後には帰るのだけれども。
「どうしよ。強行軍したなぁ、なんか」
「今更……」
 よくもまぁ付き合ってここまで来たものだとみどりは己に呆れてしまった。けれど、無駄であったとは思わない。今この時にひとりでいるのは、みどりが考え てもつらい。寂しがり屋の幼馴染みがそうでないはずがない。
「修羅場やと思っとったけんなぁ」
 それはそうだ、別れを告げに来たはずなのだから。
「適当に遊ぼう!」
「岩山君に案内させたら?」
 思わず口をついて出た言葉にみどりは後悔した。だが、当の秋子は気にも留めていない。
「いけんって、バイトやって」
 本当なのだろうかとみどりは思ったが、それは言わない。
「休ましちゃろっか?」
「あんたねぇ……」
 頭の痛くなる思いだ。一人暮らしをしている以上、生活費を稼ぐことは大変だ。もっとも、交際費かもしれないのだが、それを休ませようかなどとは、みどり にはとても言えない。
 人は簡単に変わってしまうものではないのだと、無駄に実感させられた。

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